[つんつるてん]
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・・・ドンッ
驚いて窓を見た。あいつだ。つんつるてん。あいつが外にいる。
窓越しに穴のあいた目でぼくをじっと見つめていた。・・・と
ドンッ・・・ズルズルズル
窓に向かって、あいつは犬を投げつけてきた。犬はミニチュアダックスフンドだろうか、
とにかく小型犬だ。あいつは投げつけた犬の手づなをたぐり寄せ、犬を手元に運んだ。
とまた・・・
ドンッ・・・ズルズルズル  ドンッ・・・ズルズルズル  ドンッ・・・ズルズルズル
また投げつける。手づなをたぐり寄せ、また投げつける。その繰り返し。こいつは一体、
何がしたいんだ!?なぜおれだけ狙ってくる?
ドンッ・・・ズルズルズル  ドンッ・・・ズルズルズル  ドンッ・・・ズルズルズル
窓は、だんだんと犬の返り血で赤くなっていった。
あいつは人間だろうか?なにがしたいんだ?
しばらくして、警備員が駆けつけてきた。あいつはもういなくなっていた・・・。

 家に帰り、今までのことを思い起こしてみた。なぜあいつはおれを狙うのだろう?
今日着ていた服は、白のダウンだった。黒のダウンじゃないのに、あいつは現れた。色は
関係ないのだろうか?だとすると、他に何があるというのか。あいつが現れたとき、おれ
がしていた共通のこと・・・共通の・・・
「あ・・・もしかして・・・解剖。」
思い当たった。あいつが現れた日、おれはいつも解剖の実習があった。解剖室は、いつも
検体のホルマリンの臭いが漂っている。3、4時間もそこにいると、体にホルマリンの臭
いが染み付くのだ。もしかして、あいつはその臭いに反応したんじゃないだろうか?
色ではなく、臭いに・・・。そう、まるで犬のように・・・。黒を着ていたのは、解剖で
汚れが目立たないから着ていただけのことだった。
 次の日、おれは実習テストを終え、川沿いの道を通ってみることにした。その日はテ
ストだけだったので、解剖室には入っていない。ホルマリンの臭いはしないはずだ。
注意しながらいつもの場所へ向かう。・・・
いた。あいつはそこに立っていた。いつものように犬を連れ、身動き一つしない。
横を通り過ぎた。振り返ってみる。あいつは同じ格好で立っていた。気付いた感じも
ない。

「そうか・・・やっぱり臭いだったんだ。」
あいつは何者なのか、よくわからないが、これではっきりした。ホルマリンの臭いに反応
していたんだ。おれはなんだか可笑しくなった。もう実習は無い。ホルマリンの臭いもな
い。よって、あいつに追われることはないんだ。明日からは晴れて冬休みだ。休みを
満喫できる。気分がよかった。途中、友人の部屋に行こうとしたが、留守のような
ので帰って寝ることにした。明日は友人を誘って服でも買いにいこう・・・

 朝、チャイムの音で目がさめた。ドアを開けると、二人の男が立っていた。

「警察ですが。」
「・・・何ですか?」
「あなた、この方の友人だそうですね?」
警察は友人の写真を取り出した。
聞くと、おれの友人は下の階の部屋で冷たくなっていたそうだ。死後数日たっている。
なぜか数日しかたっていないのに腐乱していた。部屋はカギがかかっていて、自殺の
疑いが強いという。
「一応、確認をお願いしたいのですが。」
警察に言われ、おれは死体の確認をさせられた。友人の顔は膨れ上がって生前の面影
は無い。
「彼・・・だと思います・・・たぶん。」
つんと鼻をつく臭い・・・これが死臭というものなのかと思った。
「臭いが出てもね。気付かないことの方が多いんですよ。まあ一般の方は死臭なんて
嗅いだことありませんものね。」
警察が言ったとおり、おれにもわからなかった。おかしいとは思っていたが、まさか
友人がこのような姿になっていたなんて。

「何か変わったことはありませんでしたか?」
おれはふと、彼の部屋のドアを見た。よく見ないとわからないくらいの・・・
凹みと・・・血のような跡・・・そして郵便受けには犬の毛のような・・・

ドンッ・・・ズルズルズル  ドンッ・・・ズルズルズル

あいつが、友人の部屋のドアに犬を投げつけている映像が浮かんだ。投げつけ、たぐり
よせ、投げつけ、たぐりよせ・・・。
ズルズルズルズルズ・・・

警察の事情聴取が終わって、おれは部屋に引きこもっていた。もう出かける気も失せ
ていた。ここ数日、友人を見ていなかった。あいつは、友人を殺したのだろうか。そん
なこと出来るはずない。そう信じたい。でもあのドアの凹み・・・あいつは友人の部屋
にやってきていた。
あいつは、同じ大学の友人を自殺にまで追い込んだんだ。次は、おれだ。

続く