[田舎(前編)]

大学1回生の秋。
その頃うちの大学には試験休みというものがあって、夏休み→前期試験→
試験休みというなんとも中途半端なカリキュラムとなっていた。
夏休みは我ながらやりすぎと思うほど遊びまくり、実家への帰省もごく短い
間だった。
そこへ降って沸いた試験休みなる微妙な長さの休暇。
俺はこの休みを、母方の田舎への帰省に使おうと考えた。
高校生の時に祖母が亡くなってその時には足を運んだが、まともに逗留すると
なると中学生以来か。母の兄である伯父も「一度顔を出しなさい」と言ってい
たので、ちょうどいい。
その計画を、試験シーズンの始まったころにサークルの先輩になんとはなしに
話した。
「すごい田舎ですよ」
とその田舎っぷりを語っていたのであるが、ふと思い出して小学生のころに
そこで体験した「犬の幽霊」の話をした。
夜中に赤ん坊の胴体を銜えた犬が家の前を走り、その赤ん坊の首が笑いながら
後を追いかけていくという、なんとも夢ともうつつともつかない奇妙な体験だ
った。
先輩は「ふーん」とあまり興味なさそうに聞いていたが、俺がその田舎の村の
名前を出した途端に身を乗り出した。
「いまなんてった?」
面食らって復唱すると、先輩は目をギラギラさせて「つれてけ」と言う。
俺が師匠と呼び、オカルトのいろはを教わっているその人の琴線に触れるもの
があったようだ。
伯父の家はデカイので一人二人増えても全然大丈夫だったし、おおらかな土地
柄なので友人を連れて行くくらいなんでもないことだった。
「いいですけど」
結局師匠を伴って帰省することとなったのだが、それだけでは終わらなかった。
試験期間中にもかかわらず俺は地元のオカルト系ネット仲間が集まるオフ会に
参加していた。
そんな時期に試験があるなんてウチの大学くらいなわけで、フリーターや社会人
が多いそのオフ会はお構いなしに開かれた。それなら参加しなければいいだけ
の話のはずだが、オカルトに関することに触れている時間がなにより楽しかった
そのころの俺は、あたりまえのようにファミレスに足を運んだのだった。その後
の2年間の留年の契機がもう始まっていたと言える。
「試験休みに入ったら、母方の田舎に行くんスよ」
そこでも少年時代の奇妙な体験を披露した。
反応はまずまずだったが「子供のころの話」というフィルターのためか、オカル
トマニア度の高い方々のハートにはあまり響かなかったようだ。すぐにそのころ
ホットだった心霊スポットであるヒャクトウ団地への突撃計画へ話が移っていっ
た。
ところがそれを尻目に、ある先輩がつつッと俺の隣へやってきて「おまえの田舎
は四国だよな」と言う。
オフでも「京介」というネット上のハンドルネームで呼ばれる人で、ハッとする
ほど整った顔立ちの女性だった。俺はこの人に話しかけられると、いつもドキド
キしてそれに慣れることがない。
「そうです」
と答えると、真面目な顔をして「四国には犬にまつわる怪談が多い」と言った。

そして「なんと言っても、おまえの故郷は犬神の本場だ」と、何故か俺の肩を
バンバンと叩くのだった。
「犬神ってなんですか」という俺の問いに、紺屋の白袴だと笑い「犬を使って人
を呪う術だよ」と耳元で囁いた。ヒャクトウ団地突撃団の怪気炎が騒々しかった
ためだが、耳に息が掛かって、それがどうしようもなく俺をゾクゾクさせた。
田舎はどんなところだと聞くので、先日師匠にしたような話をした。
そして村の名前をだした瞬間に、まるで先日の再現のように身を起こして「ほん
とか」と言うのである。
これには俺の方が狐につままれたような気持ちで、誘うというより半ば疑問系
に「一緒に行きますか?」と言った。
京介さんは綺麗な眉毛を曲げて「うーん」と唸ったあと、「バイトがあるから
なあ」とこぼした。
「コラ、おまえらも行くんだぞヒャクトウ団地」
他のメンバーから本日のメインテーマを振られて、その話はそれまでだった。
けれど俺は見逃さなかった。
「バイトがあるから」と言った京介さんが、そのあと突撃団の輪に背を向けて
小さなスケジュール帳をなんども確認しているのを。

京介さんはたぶん、行きたがっている。バイトがあるのも本当だろうが、なか
ば弟分とはいえ、男である俺と二人で旅行というのにも抵抗があるのだろう。い
や、案外そんなことおかまいなしに「いいよ」とあっさり承知するような人かも
しれない。「一緒に行きますか」などとサラリと言えてしまったのも、きっと
そういうイメージがあったからだ。
ともかく、あと一押しだという感触はあった。一瞬、二人で行けたらなあという
楽しげな妄想が浮かんだが、師匠も来るのだということを思い出し、少し残念な
気持ちになった。
続く