[呪い]
前頁

「ふ〜ん」
「でもなんか脳をやると性格も変わっちゃうらしくて、もう昔の親父じゃないって風は言ってましたね」
「へぇ」
師匠は気の無い返事をしながらも3枚の写真に興味深げに見入っている。
「で親父さんが亡くなって1年もしないうちに今度は風が自宅のベランダから落ちて、
やっぱり頭を打って脳挫傷?みたいので入院したんです」
「ちなみにこれ地蔵じゃないぞ」
「え?」
「道祖神だと思う、あまり詳しくないんだが」
「道祖神・・・ですか」
師匠の専門は仏教美術なのだが、道祖神と言うのは土着の原始信仰のようなものであるらしい。
「旅人の道中の安全祈願、まぁ道標の様な目的だったり、子孫繁栄とか家族和合とか五穀豊穣だったりな、
まぁいろいろだ。悪霊や災難に立ち塞がる、と言う意味で村落の入口に祀られる場合もある」
「子孫繁栄・・・ですか」
「この真ん中に男と女が彫られてるだろ、男の方が削れて黒くなってるけどな、
エロチックな意味合いがある場合もあるんだよ」
「待ってください 男が黒いですって!?」
俺の背中に電気の様なものが走った。1枚目の写真を俺に見せながら師匠が言った。
「ああ、これだ、どうした?」
確かにその道祖神とやらには男と女が彫ってあり、男が黒く削り取られていた。
「風が落ちて、入院した時に警察が来たって言うんですよ。
妹の美知ちゃんから聞いたんですけど・・・風の奴ウワゴトで病院の人に
『誰かに押された、黒い影しか見えなかった』って言ったらしいんですね」
「ほう」
「でも家族は誰もいなかったし、玄関の鍵も閉まってて、結局事故って事になったって言うんです」
そうだった。風が退院して自宅療養になって見舞いに行った時に聞いてみたが、
風は黒い影の話を覚えていなかった。言った記憶すらなかった。
しかし、その話をきっかけに呪いの話になり、元気そうな風の様子を見て安心もしていた俺は
(脳波が乱れたり痙攣を起すと言った後遺症はあったらしい)
その『地蔵の呪い』の話にオカルト心をくすぐられ、
嫌がる風に写真を送ってくれと約束させたのだった。

結局、風は死んでからその約束を守ってくれた事になる。
俺はその道祖神の写真、人型に黒く削られた部分を見つめていた。
「やっぱりその、道祖神の呪いですかね」
神が罰を当てたのか、それとも神が封じていた何かが風の一家に障ったのだろうか。
「さあな 写真からじゃわからんよ」
「妹さんの言っていた『黒い影に落とされた』みたいな証言ともつながって来ますよね」
俺には黒い霧の様なものに包まれてパニックした風が過ってベランダから落ちるイメージができあがっている。

「神様なんかより人間さまの方が恐ろしいと思うんだよなぁ」
師匠は独り言の様にポツリ、と言った。
「・・・歩く、どう思う?」
「えー?」歩くさんは話だけ聞きながら、写真には興味もない様子で肴をつつきビールを飲んでいる。
「特に何も見えないよなぁ」
「うーん 見えないねぇ」
歩くさんはちらりと見ただけで師匠に同意してみせた。この人は酒なんだ。酒と肴だ。
歩くさんの食べっぷりを見て腹が減ってきた俺は、恐縮してみせながらもカラアゲとタダ酒で腹を満たす事ができた。
それで俺は早々に帰る事にした。
歩くさんが来ているのに師匠の汚くて狭い部屋で酔いつぶれて寝るわけにはいかない。
すると師匠が俺の上着を指差して
「ちょっとその写真貸しといてくれ」
「だって何にもないんでしょ? どうするんですか?」
「まあ いいから貸してくれよ」
思惑ありげな顔で手を出す師匠に写真を封筒ごとわたして、俺は帰る事にした。
俺は自分の大人の配慮に自己満足しながら居酒屋を出ると酔った足取りでふらふらと家に帰った。

師匠から電話で叩き起されたのは朝5時だった。

続く