[ドッペルゲンガー]
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そのころには、全身が見えていた。
視線の隅にひっそりと立つ自分。
表情はなく、固まっているように動かない。そして、それがいる場所をだ
れか他の人が通ると、まるでホログラムのように透過してしまい揺らぎも
なくまたそのままそこに立っているのだった。
全身が見えるようになると、それからは特に変化はないようだった。
相変わらず疲れたときや、精神的にピンチのときにはよく見えた。だからと
いって、どうとも思わない。ただそういうものなのだと思うだけだった。
それが、である。
最近になって変化があらわれた。
ある日を境に、それの「そこにいる感じ」が強くなった。ともすればモノク
ロにも見えたそれが、急に鮮やかな色を持つようになった。そしてその立体
感も増した。だれかがそこを通ると「あ。ぶつかる」と一瞬思ってしまうほ
どだった。ただやはり他の人には触れないし、見えないのであった。
ところが、ある日部屋でジーンズを履こうとしたとき、それが動いた。
ジーンズを履こうとする仕草ではなく、意味不明の動きではあったが確かに
それの手が動いていた。
それから、それはしばしば動作を見せるようになった。けっして自分自身と
同じ動きをするわけではないが、なにかこう、もう一人の自分として完全な
ものなろうとしているような、そんな意思のようなものを感じて気味が悪く
なった。
相変わらず無表情で、自分にしか認識できなくて、自分ではあるけれど少し
若いようにも見えるそれが、はじめて怖くなったという。

京介さんの独白を聞き終えて、俺はなんとも言えない追い詰められたような
気分になっていた。
逃げてきた先が、行き止まりだったような。そんな気分。
「ある日を境にって、いつですか」
なにげなく聞いたつもりだった。
「あの日だ」
「あの日っていつですか」
京介さんはグーで俺の頭を殴り、「またそれを言わせるのかこいつ」と言った。
俺はそれですべてを理解し、すみませんと言ったあとガクガクと震えた。
「どう考えても、無関係じゃないな」
おまえのも含めて。
京介さんは最後のトーストを口に放り込みコーヒーで流し込んだ。
俺はそのときには、京介さんの部屋へタリスマンを返しに行った時の違和感
の正体に気がついてしまっていた。
「部屋の四隅にあった置物はどうしたんです」
あの日、結界だと言った4つの鉄製の物体。
それが1週間前には部屋の中に見当たらなかった。
「壊れた」
その一言で、俺の蚤の心臓はどうにかなりそうだった。
「それって、」
しゃくり上げるように、俺が口走ろうとしたその言葉を京介さんが手で無理
やり塞いだ。
「こんなところでその名前を出すな」
俺は震えながら頷く。
「ドッペルゲンガーっていうのは、大きくわけて2種類ある。自分にしか見
 えないものと、他人にも見えるもの。前者は精神疾患によるものがほと
 んどだ。あるいは一過性の幻視か。そして後者はただの似てる人物か、あ
 るいは生霊のような超常現象か。どちらにしても、異常な現象にしては合
 理的な逃げ道がある。私が前者でおまえが後者だが、それが同じ出来事に
 触れた二人に現れたというのは、しかし偶然にしては出来すぎだ」

続く