[縁(えにし)]

もう随分と前に亡くなったウチの爺さんなんだが、
変に、と言うかオカルト方面になんか詳しかった。
ついでに数学にも長けてて、俺はよく教わった。(これは多分関係ナイ)
爺さん曰く、「あーゆー手合いは抽象的な説明が云々」との事。
んで、記号とか使って説明してくれたのよね。紙に書いてさ。

俺もオカルト関係が大好き……まぁ興味心身だったもんで、
それで色々聞いてたのよ。解らないなりに。爺さんもノってたし。
あれはどう、これはどう? って。

それで、爺さんが一つのお話をしてくれたのよ。
これはそんな話

人には本能がある。まぁこれは誰もが知っていることだ。
でも、それも時代を経ていく毎に随分薄くなってしまって、
所謂退化してしまったらしい。

その退化してしまったモノの中でも、今でも強く残っているのがあって
人間の『危機を察知する本能』が挙げられるんだと。

「あ、ヤバイ」って思うと大抵それが惨事にぶち当たったりするやつ。
まぁ人間も動物だからそう言うのが強く残っていて当たり前なんだが、
爺さん曰く、目に見えないものでも本能が回避するんだと。

だからオカルトオカルトって言っても大体のヤツが認知しないし、
遭遇もしないから認知されない。言ってる奴が基地外扱いされる。
そりゃそうだ。そんなのに毎回毎回遭遇するのは相当運が悪いか、

もしくは『遭遇する事を自分から望んでる』奴、

あるいは『遭遇する事が予め決定している』奴、なんだそーで。

遭遇しないのが当たり前だし、そう言う“脅かす”のとは
縁を繋がないようにして安全を図っているらしい。

でも人間、好奇心が強い。自分が知らない世界を視たがり知りたがる。
わざわざ回避してるのにも関わらず、自分から遭遇したがる。
爺さんはここまで言って、「ワシもそうじゃ」と呟いた。

でも俺には「お前は賢いから口にせんし、縁も繋ぎたがらんのぅ」って言う。
オカルト好き、てか怖い話が好きな俺にそれはどうかと言ってやったのよ。

すると爺さん反論。

「何故霊能力者とか言ってる奴等が自分が見た拙い災厄や悪霊なんつーのを
 口にしたがらないのか解るか? ふつーに考えてやったんなら、
 教えてやった方が親切じゃろ? よー考えてみぃ、違うか?」

まー確かにそうですな。うんうん、と俺は頷いた。

「理由は二つある。一つはそういった災厄や悪霊を自分に招かない為じゃ。
 口にするだけで縁(えにし)は繋がる。未だ方向性が決まらぬ悪意や憎悪は、
 繋がれた道を歩いてくる。そうして辿り着くと、苦しみを撒き散らすのじゃよ」

「似たようなモノに“じゅ”(多分“呪”と書いてじゅと読むんだと思う)があるが、
 そう言うのは己の悪意を直接相手に繋ぐ。そうして相手を苦しめるわけじゃ。
 これが強すぎると相手は散々苦しんだ挙句に死ぬ。
 じゃが繋いだ縁を渡って自分に返って自分自身も死んでしまう。
 これが人を呪わば穴二つの意味じゃよ。その苦しみは殺した業を含めて倍になる」

続く