前頁
しばらくたってもその"客"は店のから出て行く様子がなかった。
目の端で人の影が棚の裏で動くのが見える。
時計を見れば既に閉店時間から30分も過ぎていた。
しょうがない、俺は店のBGMをホタルノヒカリに切り替え帰宅を促した。
が、それでも帰る様子はみえない。
不意に俺はそれに気がついた。
影が動く、棚の裏で黒い影がふらふらと動く。
どう見てもそれは"ビデオを選んでいる"動きではないのだ。
ただただ、店の奥を歩いている…いや、思えば俺は歩く音を聞いただろうか
背中を冷たい風が通り過ぎた。
正面ドアが風に煽られ揺れる…、そして耳に届いたのは布が床を擦るような…這いずる音。
俺はもう限界だった。
鳥肌がぞわぞわとたち、棚の裏の何かに本能が恐怖している。
俺はゆっくりとレジを出た。
ぐるりと覆う棚の裏へ、俺は顔を覗かせた。
が、誰もいない。
奥へと向かう衣擦れの音に俺は息を呑み近寄っていく。
奥は袋小路、俺は奥に向かってそろそろと歩を進めた。
曲がり角の先で音が消える。
- そして…俺は角からゆっくりと覗き込んだ
ブツン・・・・・・ッ
角の先、そこに黒い何かを見た気がした。
だがその瞬間、目の前が闇に染まる。
聞こえていたホタルノヒカリも、エアコンの音も一瞬で消えていた。
深夜の、それも明かりの消えた棚の裏。
俺の横を凄い勢いで通り過ぎる何か、頬に触れたのはビニールのような感触…
そして腐敗臭…。
何がおきたのかその時の俺にはわからなかった。
ただただ腹の底から湧き上がる恐怖と、安堵感。
その日は掃除もせずに電気とエアコンを消し、鍵を閉め店を飛び出した。
それに気づいたのは翌日の朝だった。
昨日の夜、家に帰った俺は風呂にも入らず、
恐怖を紛らわすためにテレビをつけ布団にもぐりこんだ。
昨日のことも…もしかしたら夢だったのかと…そう思えば気も楽になる。
安直に、安全であるとホッとしてしまうものだ。
だが顔を洗うために鏡の前にたった俺は愕然とした…
俺はへたり込み、這いずりながら棚を頼りにどうにかレジ前まで出た。
その途端だ…明かりと音楽が店に戻る。
- 昨日頬を掠めた何か。
俺の右頬に…カラカラに乾燥した赤い筋が手の形を留めたまま残っていたのだ。
その途端、俺の中に恐怖心に染まる。
もうあれがなんであったかなどどうでもよかった。
調べる気力も、好奇心もなにもかもどうでもよくなり…、ただその場で
頬にこびりついた赤い何かを洗い流すことだけが救いに思えた。
俺はその日学校を休み、仕事をサボった。
そして次の日辞める旨を店長に伝えたのだった。
「○藤くんどうにか続けてくれないか。
今新しい子もいなくて…、ああ給料を上乗せしてもいいから」
「いえ、もう決めたんで…。
申し訳ないですけど、俺…もういけません…」
「そこを頼むよ、いや私としてもね………・・・・・・」
いやに食い下がる店長をどうにか押し留め、俺は店から去った。
あれからしばらくし、いつの間にか店は貸し店舗として出されていた。
周りの客からも残念だという声が聞こえたが…俺はなんとなくわかっている。
あれがいるのだ今も…。
近くに住んでいた店長も、きっと知っていたんだろう。
あれ以来見ない店長はどうなったのかもうわからないが、あの場所にはもう近寄らない…
今もそこに近づくと、頬に何かが触るような気がして…