[牛の墓]

私が通っていた高校は、数年前に改築され今では近代的な姿に変貌を遂げているが、私たちが在学中はどこもかしこも古めかしい学校だった。
歴史だけは県下有数というこの学校に、昔からひっそりと語り継がれているという、ある怪談話の伝説があった。

それは通称「牛の墓の話」という名前なのだが、タイトルだけ聞くとオカ板でおなじみの「牛の首」を思い浮かべる人もあるかと思う。
私もオカ板を覗くようになったのはごく最近なのだが、私の学校に伝わっていた「牛の墓」話というのは一般的にはいわゆる「牛の首」系の怪談話でメジャーな展開である
「あまりに恐ろしすぎて誰も話すことができない」系統の語られ方をされていたのも不思議と共通していた。

しかしある先輩は「安保闘争が盛んな時代の、学生運動に絡んだ話らしい」と語り、同じ高校のOBである親戚の兄(10歳ほど離れている)は「大正後期から昭和初期の話らしい」と聞かされた。

話のタイトルも「牛の墓」という説と「牛のバカ」という説もあり、まさに正体不明の怪談話といえた。

「牛の墓伝説を詳しく調べよう」
私にそういったのは中学時代からの友人Aだった。
季節は衣替えの直後だったと思う。
Aは私と違い優等生で成績は常に学年上位。
だが中学の頃からオカルトやらファンタジーにかなり傾倒しており、この話ももともとはAが定年間際の老教師から聞いてきたのがそもそもの始まりなのだ。

しかし「牛の墓(バカ?)」伝説の調査ははかばかしくなかった。Aは図書館で地方版の新聞を読み漁り、かつての卒業生を訪ねたり大学の図書館にまで入りびたってさまざまな資料を飽きることなく調べていた。
私も何度かAの「調査」に付き合ったが、彼の熱の入れようはどこか異常ともいえた。
いや、おそらくAはそのとき既に何かに取り憑かれていたのかもしれなかった。
そして夏休みがやってきた。
Aは予備校の夏期講習の傍ら、まだいろいろと郷土史を調べたりと相変わらず「牛の墓」について飽きずに調査していた。
私はAとは違う塾に通っていたのだが、夏休みの少し前から塾で同じ教科を取っていた同じ学校の女の子と仲良くなったりしていたため(笑)不純な目的ながら塾通いに熱心になり、「調査」へのモチベーションが落ちかけていた頃だ。

8月の上旬頃、私やAが所属していた部活の夏期合宿があった。夏期合宿といっても要は部活動のあとで部員が学校内の宿泊室に泊まりこむだけなのだが。

その夜、しばらくぶりにAと会ってその後の調査具合を聞くと
「60年代から70年代あたりにかけて生徒が死んだ事件があったのは事実らしい」
「だけど、その事件とは別に、もうひとつ公表されなかった事件が過去に存在するという話を、ある古い卒業生に聞いてきた」
「どうもこっちの話こそ、牛の墓事件(このとき確かにAは「事件」と言った)の隠された真実があるように思う」
「そのことを知ってる人を今探している」

…そういった話をAはしていた。

その後、お定まりではあるが深夜にかけて部員たち数人で怪談話をいろいろしていたのだが、ある女子部員が「こっくりさんやろう」と言い出した。
Aが名乗りを上げ、言い出した女子部員と10円玉に指を載せる。
私はオカルト好きだがチキンハートなので他の数人の部員たちとそれを眺めていた。

続く