[魚(師匠シリーズ)]
前ページ

「悪夢を食べるんだ」
その言葉を聞いて、背筋に虫が這うような気持ち悪さに襲
われる。
京介さんはたしかに「私は夢をみない」と言った。
なのにその悪魔は、悪夢しか食べない・・・
その意味を考えて、ぞっとする。
京介さんは、眠ると完全に意識が断絶したまま次の朝を迎
えるのだという。
いつも目が覚めると、どこか身体の一部が失われたような
気分になる・・・
「その水槽にいた魚はなんですか」
「わからない。私は見たことはないから。たぶん、私の
 悪夢を食べているモノか、それとも・・・」
私の悪夢そのものなのだろう。
そう言って笑うのだった。
京介さんが眠っている間にしか現れず、しかもそれが
見えた人間は今まで二人しかいなかったそうだ。

「その水槽のあるこの部屋でしか、私は眠れない」
どんな時でも部屋に帰って寝るという。
旅行とか、どうしても泊まらないといけない時もあるでしょ
う? と問うと
「そんな時は寝ない」
とあっさり答えた。
たしかに、飲み会の席でもつぶれたところをみたことがない。
そんなに悪夢をみるのが怖いんですか、と聞こうとしたが、
止めた。
たぶん、悪夢を食べるという悪魔が招いた災厄こそ、その悪
夢なのだろうから。
僕はこの話を丸々信じたわけではない。京介さんのただの思
い込みだと笑う自分もいる。
ただ昨日の夜の、暗闇の中で閃いた鱗と、何事もないように
僕の目の前でコーヒーを飲む人の、強い目の光が、僕の日常の
その隣へと通じるドアを、開けてしまう気がするのだった。
「魚も夢をみるだろうか」
ふいに京介さんはつぶやいたけれど、僕はなにも言わなかった。


次の話

Part121menu
top