[つかない筈のテレビ]

電話やテレビ、ラジオなど所謂メディアにまつわる怪談は多い。その殆どが、どこかに繋がってしまうというパターンを踏襲している。便利さの反面、直接的ではない伝達に人間は恐怖心を抱くのだろうか。今から話すのもそれに類似したありふれた体験のひとつ。

中学二年の夏休み、心霊ツアーと称し五歳上の従姉妹と他県まで遠征した。目的地は某県にある公営団地の廃墟。これはかなり有名な場所で、仮に心霊スポットではなくとも廃墟好きの俺にはたまらないものがあった。

到着したのはまだ陽のあるうちだった。立ち並ぶ無人の団地とそこかしこに残る生活の痕跡は、確かに噂通りの偉容だった。
草が伸び放題の空き地にぽつんと置かれた三輪車、錆びた鉄製のドア、引き出しに衣類がしまわれたままのタンス。そして周囲は緑深い山々。団地全体が、本来あるべきではない違和感を放っていた。

何となく腰が引けてしまった俺とは対照的に、従姉妹は次から次へ無遠慮に見回っていた。オカルト好きで変わり者のこの従姉妹は、普段は何を考えているのか分からなかったがこういうときは頼もしかった。

ある棟の一部屋に入ったとき、俺はあまりの異様さに目を見張った。
その玄関には靴が脱ぎ散らかされ、コンロにはフライパンが置いてあり、押し入れからは布団が崩れだしていた。確かに生活感の残る部屋は幾つかあったが、これはまるで住人が日常の中で忽然と消え去ったかのようだった。ついさっきまで、誰かがいたような。
有名な幽霊船の逸話が脳裏に蘇った。事実、四つの椅子が並ぶテーブルには箸や茶碗などが並んで埃を被っていた。今まで気にならなかった静寂がやけに耳をつく。緊張したまま奥の部屋を覗くと、雑誌やレコードが散乱する中に古ぼけた小振りのテレビが鎮座していた。
小さな四つ足の台に載ったテレビは、ダイヤルつきのその頃でもまず見かけなくなっていたタイプだった。全体を覆う赤いプラスチックが妙な懐かしさを感じさせる。高度経済成長センス、というか昭和テイスト。
手を伸ばし、ダイヤルを回すとブン、と低い音がして画面がゆっくりと明るくなった。俺は驚いて見守ったがそこには砂嵐が映し出されるだけだった。
いつの間にか隣りにいた従姉妹が、日が暮れるしもう帰るよ、と言ってダイヤルを回しテレビを消した。窓の外を見ると確かに暗くなり始めていた。

続く