[女並通り]

昔から旧いものには魂が宿るという。長い年月を経て魂を得たものは、九十九神とも付喪神とも呼ばれ、神のような妖怪のような信仰と僅かな恐怖の対象にされてきた。
澁澤龍彦はそれを日本人の、旧いものに対する愛着と畏れの表れだと記している。だが、本当にそれだけなのだろうか。中には、年輪のように記憶を積み重ね、語るようになったものもあると、俺はそう思う。

小学生の頃、俺は俗にいう鍵っ子で、中学年になってからは学童保育に通っていた。
迎えには近所に住んでいた五歳上の従姉妹が来てくれていたのだが、これが少し変わった人で、一緒に行動するうちに幾つかおかしな体験をすることになる。

歩くだけで汗ばむ暑さも、日が落ちるに従ってだいぶ落ち着き始めた。小学五年の夏休み前のことだったと思う。学童保育からの帰り道、従姉妹と商店街の裏通りを歩いていた。
通い慣れたいつものコース。左手は商店街、右手は小川が流れるその小道は女並通りと呼ばれていた。

夕闇が近づくなか、時おりすれ違う買い物帰りの主婦をのぞいてあたりには人気がなく、少し離れた商店街のざわめきが聞こえてくるほかは静かだった。
石を蹴りながら歩いていると、小川のほうから瀬戸物が触れ合うような音がした。見回したが何も見当たらず、俺は空耳だろうと考えた。
少したつとまたさっきの音が聞こえた。今度は人の話し声も混じっていた。

立ち止まるといつの間にか商店街のざわめきが聞こえなくなっていることに気づいた。また、瀬戸物が鳴る音と話し声。一瞬笑い声まではっきりと聞こえた。見回しても俺と従姉妹のほかは誰もいない。
急にあたりの夕闇が濃くなったような気がした。奇妙な静けさが痛いほど耳に迫る。

続く