[トイレの個室]

大学時代の話。

サークル活動はちゃんとしてなかったんだけど、部室は食事
をしたり、荷物を置いたり、空きコマの時間をつぶしたりと、け
っこう頻繁に使わせてもらってた。
部室のあるサークル棟の端に、トイレがあるのね。
校舎は遠いので、部室いるときにはそのトイレ使用。
たまに痴漢が出るらしくて、防犯ベルも設置されてる。
女だけど、いつもサークル棟には人がいるし、あまり不安を覚
えたことはなかった。
で、薄暗くなるような時刻。午後5時とか6時ごろ。そのトイレで
用を足していたとき、のぞきにあったのね。何か人の気配?の
ようなもので振り返ったら、黒い影のようなものが個室の上のほ
うにチラッと見えて、慌てて逃げていく音がした。
その瞬間は全然わけがわからなくて、「え?今の何?」って感
じでポカーンとしてたわけ。
怖くなったのは、その後だった。

いつものように用を足そうとすると、なんか怖いわけよ。
人の気配が気になって、生理的に落ち着かない。で、しばらくは
校舎のほうのトイレを使ったりしてたんだけど、やっぱりだんだん
面倒になって、そのトイレを使うようにもなってた。だけど、なかな
かのぞきのことが忘れられない。
過敏になってたんだと思う。
用を足す前には、ちゃんと他の個室に人が隠れていないかとどう
か確かめて、誰かが途中でこないかどうかにも気を張って、できる
だけ早く用を足して、逃げるようにトイレを出てた。
そして、その日も、薄暗くなっていた頃で、ちゃんと前後のトイレ(
習性で、いつも3つあるうちの真ん中に入ってた。特に便器とかが
汚れてないときは)に人がいないかどうか確認して、それから入っ
たのね。パンツおろして、しゃがんで、いざ、ってときに、隣からカリ、
カリ、カリ、って音がしたの。

「え、何?」って反射的に個室の上を見た。
用を足すどころじゃなくって、凍りつきながら隣を見てたのね。
本当に怖いと、何だか何もできない。呼吸すら浅く早くなってて、パン
ツを上げることすら忘れて、しばらく凍りついたまま。
……カリ、カリカリ、って音は、確かに隣から聞こえる。
用は足さずにそのままパンツを上げて、何だか知らないけど、隣に気
づかれないそうっとトイレのドアを開いて、逃げようとした。
トイレの中は入ったときに比べて、「え?」ってほど薄暗い気がした。
蛍光灯もついてるんだけど、その光が褪せて感じられる感じ。
音がした奥のトイレは、扉が半端に閉じていて、私の位置からは見ら
れない。

そのまま、逃げようかとも思ったの。
だけど、最初ののぞきに対する怒りってのもあってね、今度こそ顔を確か
めて、どうにかしなくちゃいけないんじゃないかっていう気持ちもあったわ
けよ。
で、何となく、最初ののぞきとは違うような気もしたんだけど、息を詰める
ようにして、奥のトイレに近づいてみた。
すごく鼓動が早くなってて、逃げなきゃ逃げなきゃ、とも思っていたんだけ
ど、習性みたいに足が動くのね。さすがにすぐそばまでは寄れなくて、で
も中がのぞける位置で立ち止まって、中をのぞきこんでみた。
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