[いざなうもの]


自分は幼少時代、四国の瀬戸内海沿いの田舎の村で育ちましたが、
この話は六歳の誕生日の出来事です。
だいぶん昔の話ですし、幼少時代の自分の想像力と事実の境界線が不明瞭ですが、
出来うる限り事実に基づいて書いていきたいと思います。

自分は誕生日に良い事があった経験が無いのですが、この年の誕生日は高熱が出て
(40度以上)、家族は単なる風邪ではないと判断し病院に行く事になりました。
誕生会などは園や学校が休みになる週末に行っていたはずですが、
誕生日当日となると、毎年こういう感じでした。
五歳の誕生日は、座敷の絨毯でスリッパを履いて滑って遊んでいて足を骨折し、
これまた病院で迎えました。
(その時の誕生プレゼントはZZガンダム1/100可変式でした)

母の車で病院へ向かいました。
この瀬戸内海に面した土地は、現在は平成15年の合併でH市と名前を変えていますが、
当時はH田町S鳥町O内町に分かれていて、自分が連れて行ってもらったのはS鳥町の病院でした。
出発した時は夜中でした。座薬も効かず、車内に毛布ごと担ぎ込まれて運ばれました。
田舎の人間は周囲を気にするもので、救急車を呼んで周りの家を起こすなどという
恥ずかしいマネはできません。
田舎の夜の病院は医者の人数に対して患者の人数が少なく、
絶えず患者が運ばれる救命病棟といった雰囲気は無く、
土地も無駄に余っており、母はガラガラの無駄に広い駐車場に車を止め、
急患の受付へ、診てもらえるかどうか聞きに行きました。
勿論高熱を出している子供を担いでいくわけにも行かず、一人車の中に取り残されて、
熱で朦朧とする頭に秋の虫の声が響いていました。


どれくらい車の中で待っていたのか分かりませんが、突然、
「○○ちゃん、開けてー」という声が聞こえました。
自分は母が戻ってきたものと思いましたが、今考えれば車の鍵は母が持っているはずで、
高熱を発する息子にドアを開けさせるというのもおかしな話です。
もう一度「○○ちゃん、あけて〜」という声がしました。
ものすごく甘い声でした。
自分は母親だと思っていますから、毛布から頭を出し、声のする方を見ました。

そこには、顔の白い女が居て、両手を車の窓にくっつけてこちらを覗き込んでいました。
子供ながらに、きれいな人だな、と思いました。
でも今考えると、きれいというのはおかしな表現だったと思います。
その顔は、記憶している限りでは、左右対称で違和感がある感じでした。
顔の印象で言うと年は20台後半、肉付きのいい顔でした。
唇の色が、白い顔と対比して目立っていた。

「ねえー開けてー?」「お母さん病院へ行っちゃったから、お姉さんと一緒に行こう」

というような事を言われた記憶があります。
自分は大人の期待を裏切るのを恐れる子供でした。
それは関係ないとしても、この人が自分を病院まで運んでくれるのではないかという考えが、
なぜか頭に浮かびました。車に残されて心細かったというのもあると思いますが。
出て行った方が不安が取り除かれる気がしたのです。
これは、内心その時の状況に不安を感じていたせいかもしれません。

続く