ようし、誰もが嫌がって行かないなら、山男ではないが山女の名にかけて
私が行ってやろう。そして、どんな物があるのか、いかなることが起きるの
かを、私自身のこの目で確かめてやりたいと決心しました。五十歳をすぎ
た私には、異常な決意だったのですが、独身で気楽な会社勤めの上の息
子に相談しますと、
「お母さん、それだけは止めたほうがよいと思うよ。何百年も人間が入っ
ていない場所だから、ぜんまいのすごいのがあるだろう。だが、禁制を破
って入り、あとで気ちがいになったり、早死してはつまらないからなあ」
と、てんで乗ってこないのです。そう言われるほど闘志が湧き上がる私
は、
「おやっ、今どきの若い者にしては、珍しい縁起かつぎだわねえ。そんな
ら、私一人で這ってでも行って来ますよ」
そう宣言しますと、仕方なさそうに、
「しようがないなあ。
それでは、田代峠の近くまでは車で案内するよ。だ
けど、近づいて眺めるだけ。それ以上は山に入らない約束をすれば一緒
に行ってもよいよ」
しぶしぶの返事でした。
◎不思議な洞窟の老婆
息子は休暇をもらい、長年の教員生活から解放されて気楽な恩給暮ら
しの私との二人は、昨年五月十日の晴れた日に、宿願の田代峠に向か
いました。山と高原のだだっ広い私の町は家から峠まで二十粁(キロメー
トル)以上もあるのです。未舗装のでこぼこ道を車にゆられて行きますと
峠より相当離れている手前に、屋敷台と称する数軒の小落がありました。
車はそれ以上進めません。
駐車させてほしいと、一軒の家を訪れました。わらぶきの屋根と、手造
りの荒い柱が目立っていて、電灯もありません。黒ずんだランプが印象
的で、現代では想像もつかないくらいに、古風なたたずまいでした。この
辺では、他家の人間と会うことが珍しいらしくて、底抜けの善意を示して
くれましたが、田代峠から奥の山の地理を尋ねますと、上機嫌だったこ
の家の主は、急に険しい顔つきになって、
「お前さん方よ。わしらのような山歩き商売の者でさえ、峠から向かい
側には足を入れないのだ。止めた方がよいと思う。一歩でも踏み込むと、
得体の知れないものがあって、必ず災難が振りかかってくる。わしが知
っているだけで、何人かが命を落とした。あそこだけは止めなさい」
こう言って、山菜取りには予備の食糧がいるだろうと、小動物のくん製
肉をたくさん持たせてくれました。
続く