[契約]
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「兄ちゃん、アンタ、誰かに祟られてるね。
俺は、ムショの中で兄ちゃんみたいなのを何人も見てきたが、みんな年季が明ける前に狂って死んじまった。
人を殺したヤツ、強姦や詐欺、乗っ取り・・・娑婆で他人を地獄に落とした悪党どもが被害者に祟られて死ぬなんてのはよくある話さ。
兄ちゃんが何をしたかは知らないが、お勤めが終われば全てチャラなんて、甘い甘い。
人の裁きと、お天道様の裁きは別物なのさ。
覚悟しておくんだな。
俺たちみたいなのは、碌な死に方は出来ないし、死んでも碌な所には行けないだろうさ」
何故か、昌浩に死の恐怖は無かった。
ただ、一刻も早く出所して、美鈴に会いたい、それだけだった。
美鈴の事で思い悩む彼の出所までの日々は地獄のように長かった。

やがて昌浩は出所の日を迎えた。
昌浩が獄に繋がれている間、塀の外の状況は激変していた。
昌浩の勤めていた会社は倒産し、社長夫婦や同じアパートに住んでいた同僚達もバラバラになって行方が判らなくなっていた。
昌浩は美鈴を探す為に郷里に戻った。
郷里に戻った昌浩は激しい衝撃に襲われた。
昌浩の実家の在った一帯は更地となっていた。
不審火による火事で焼失したと言うことだった。その火事で昌浩の母が亡くなっていた。
近所の住民は更に追い討ちを掛ける事実を昌浩に告げた。
火事が起こる前、昌浩と父・昌成との間に立って昌浩をかばい、何かと力を貸し続けてくれた兄が亡くなっていたのだ。
自動車事故で大破した車の中に閉じ込められた兄は、生きたまま炎に飲み込まれ焼死していた。
そして、父・昌成の行方も判らなくなっていた。
昌浩が服役していた僅か3年足らずの間に、宋家は破滅してしまっていたのだ。
余りの事に打ちのめされた昌浩だったが、当初の目的を果たすため、地元の友人・知人の伝を頼って美鈴の捜索を開始した。

高校の同級生や地元の友人を頼って美鈴の過去を探ると、美鈴が話さなかった数々の事実が判った。
美鈴は、出身校の学区から離れた、**部落と呼ばれる被差別部落の出身者だった。
美鈴は実家を離れ、元教師の老夫婦の家に下宿し、そこから学校に通っていた。
美鈴や進学した高校、下宿先には連日嫌がらせが繰り返されたそうだ。
昌浩は美鈴のかつての下宿先を訪れたが、そこは老夫婦が亡くなり空き家となっていた。
昌浩は美鈴の実家があるという**部落を当たってみる事にした。
だが、**部落の名が出た時点で地元の友人達は昌浩の前から皆去って行った。
近辺の同和地区の住民達からさえも**部落は決して近付いてはならないとされる「危険地帯」だったのだ。
宋家は昌浩が中学校に上がる前に逃げてきた朝鮮人の「余所者」に過ぎなかった。
地元での**部落という存在の意味を理解していなかったのだ。
そんな昌浩の前に同和団体の活動家だと言う、日本人の男が現われた。
男は駒井と名乗った。
駒井は「**部落に首を突っ込んでる馬鹿はお前か?
余所者の朝鮮人が・・・他人の土地で勝手な真似をしていると死ぬぞ?」と言って、昌浩をある人物の元に連れて行った。

駒井は、活動家時代の宋 昌成の同志だった。
かつて、宋 昌成は住環境が特に劣悪だった同和・在日混住地区における「公営住宅獲得闘争」に身を投じ、多額の資金援助を行った過去をもっていた。
彼は家族や家業を犠牲にして、在日活動家の仲間と共に、某政党の言う所の『日本社会の底辺で苦しむ人民の為の闘争』に身を投じた。
その結果、その地区の公営住宅建設計画が認可され、彼らの説得により戦前からその地区に住み続けていた在日は立ち退きに応じた。
やがて、更地となった土地に真新しい公営住宅が建設された。
だが、地域住民で入居を許されたのは「同和」の日本人だけだった。
「日本人ではない」という理由だけで、共に闘い、立ち退きに応じた在日住民たちは入居を許されなかったのだ。
真新しい公営住宅を目の前に、元の住居を失った在日朝鮮人たちは成す術もなく、そこに入居したかつての隣人である同和の日本人と、立ち退きを勧めて回った昌成達活動家に怨念を向けた。
宋 昌成は、彼に活動資金の拠出を何度も要請してきた某政党や、共に戦った同和団体の活動家に行政側の措置の不当性を強く訴えた。
行政に対する抗議闘争、その地区に住んでいた在日住民の公営住宅入居を認めさせる活動への協力を求めたのだ。
しかし、彼らの答えはNOだった。
昌成は絶望に沈んだ。
立ち退きの説得に回った責任感から、彼は持てる私財を全てつぎ込んで、住家を失った同胞の次の住居の手配に奔走した。
だが、朝鮮人に部屋を貸す家主は同胞の中ですら中々見つからなかった。
度重なる心労や苦労は、平等社会や日韓両民族の和合を信じる理想主義者だった彼を変えた。
日本社会で疎外された在日を守るのは経済力、そして、それを背景とした権力に連なる人脈しかないという考えの持ち主へと変貌した。
彼や在日の仲間を利用するだけ利用して切り捨てた「ペルゲンイ」や「ペクチョン」共、そして、日本社会や日本人に憎悪を燃やすようになって行った。
家業が潰れ破産した宋家は、この地に夜逃げ同然で流れてきたのだ。
家業や家庭を顧みずに昌浩や家族を苦境に陥れたが、理想主義者だった「活動家時代」の父を昌浩は深く尊敬していた。
昌浩の出奔の背景には、変貌した父への反発が大きく作用していたようだ。

続く