[黒い手]
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黒い手に出会えたら願いがかなう
そのためには黒い手を1週間持っていないといけない
たとえどんなことがあっても
この噂の意味がわからないほどバカではないということか。
ただそれも、この噂が本物でかつこの箱の中身が本物だったらという前提条件
つきだ。
根性なしどもめ。僕は違う。
なぜ山に登るのかといえば、当然そこに山があるからだった。
「僕がもらっていいですか」
全員がこっちを見て、それから音響を見る。
「いいよ。かっくいー。ちなみに箱ごとね。開けたら駄目らしいから」
音響は僕の方に箱を押し出し、ニッと笑った。
「1週間持ってないといけないんだって。でも結婚指輪でも買ってやれば
そんなにかかんないかもよ」
その後は普通のオフ会らしく、くだらなくて怠惰で無意味な時間をファミ
レスで過ごした。
誰も箱のことには触れなかった。それが目的で来た連中のはずなのに。
解散になったとき、箱を抱えて店を出ようとした僕に、さっきの三つ編み女
がすり寄ってきた。
「ねえ、やめたほうがいいよ。それほんとやばいよ」
なんだこの女。霊感少女きどりなのか。
引き気味の僕の耳元に強引に耳を寄せてささやく。
「わたし、人に指差されたらわかるんだよね。たとえ見えてない後ろからでも。
そんな感覚たまにない? わたしの場合嫌な人に指差されたらそれだけ嫌な
感じがする。そんでさっき箱が出てきたとき半端なくゾワゾワ来た。こんな感じ、
今までもなかった」
そういえば、縦長の箱が置かれたときその片方の端がこの女の方を向いていた。
箱の中で、黒い手が指を差しているというのだろうか。
そう思っていると、女の妙に冷たい息が耳に流れ込んできた。
「それがね、指差されてるのは箱からじゃないのよ。背中から、誰かに」
そこまで言うと三つ編み女は息を詰まらせて、逃げるように去っていた。
店の中で一人残された僕は、箱を抱えたまま棒立ちになっていた。
コト
という乾いた音がして、箱の中身の位置がずれた。
僕は生唾を飲み込んだ。
なにこの空気。もしかして、あとで後悔したりする?
ふと視線を感じると、店の外からガラス越しに黒のワンピース姿の音響がこっち
を見ていた。
アパートの部屋に帰りつき、箱をあらためて見ていると気味の悪い感覚に襲
われる。
黒い手の噂はつい最近始まったはずなのに、この箱は古い。古すぎる。
煤けたような木の箱で、裏に銘が彫ってあってもおかしくないた佇まいである。
この中に本当に黒い手が入っているのだろうか。
だいたい噂には、箱に入ってるなんて話はなかった。
音響と名乗るあの少女に担がれたような気もする。でも可愛かったなぁ。と、
思わず顔がにやける。たぶん今日はオカルト好きが集まったのではなくて、
少なくとも男どもは音響めあてで参加したのではないかという勘繰りをしてしまう。
そうでなければ、開けろコールくらい起きるだろう。黒い手が見たくて集まった
はずならば。
僕は箱の蓋に手をかけた。
その瞬間に、さまざまな思いやら感情やらが交錯する。
まあ、今でなくてもいいんじゃない。
1週間あるんだし。
僕は、つまり、逃げたのだった。
そして箱を本棚の上に置くと、読みかけの漫画を開いた。
それから2日間はなにごともなく過ぎた。
3日目、師匠と心霊スポットに行って、またゲンナリするような怖い目に
あって帰って来た時、部屋の扉を開けるとテーブルの上に箱が乗っていた。
これは反則だ。
部屋は安全地帯。このルールを守ってもらわないと、心霊スポット巡りなんて
できない。
ドキドキしながら、昨日本棚からテーブルの上に箱を移したかどうか思い出
そうとする。
無意識にやったならともかく、そんな記憶はない。
平静を装いながら僕は箱を本棚の上に戻した。深く考えない方がいいような気
がした。
4日目の夜。
ちょっと熱っぽくて、早々に布団に入って寝ていると不思議な感覚に襲われた。
極大のイメージと極小のイメージが交互にやってくるような、凄く遠くて凄く
近いような、それでいて主体と客体がなんなのかわからないような。
子供の頃、熱が出るたび感じていたあの奇妙な感覚だった。
そんなトリップ中に、顔の一部がひんやりする感じがして、現実に引き戻された。
目を開けて天井を見ながら右の頬を撫でてみる。
そこだけアイスクリームを当てられたように、温度が低い気がした。冷え性
だが、頬が冷えるというのはあまり経験がない。
痒いような気がして、しきりにそこを撫でていると、その温度の低い部分が
ある特徴的な形をしていることに気づいた。
いびつな5角形に、棒状のものが5本。
僕は布団を跳ね飛ばして、起き上がった。
キョロキョロと周囲を見回し、箱の位置を確認する。
続く