[異界への扉]
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「なんか不安定みたいだから」
おばさんがエレベーターを降りながら言った。
「なんか不安定みたいだから、階段で降りる方がいいと思いますよ。また何が起こるか分からないし」
「そりゃそうですね」
と、運送屋もエレベーターを降りた。
当然だ。全く持っておばさんの言うとおりだ。
今は運良く外へ出られる状態だが、次は缶詰にされるかもしれない。
下手をすれば動作不良が原因で怪我をする可能性もある。そんなのはごめんだ。
俺もこの信用できないエレベーターを使う気などはなく、二人と一緒に降りようと思っていた。

いや、待て。
何かがおかしい気がする。
エレベーターの向こうに見える風景は、確かにマンションの七階のそれである。
だが……やけに暗い。電気が一つも点いていない。明かりがないのだ。
通路の奥が視認できるかできないかというくらい暗い。
やはり停電か?
そう思って振り返ってみると、エレベーターの中だけは場違いなように明かりが灯っている。
そうだ。動作に異常があるとはいえ、エレベーターは一応は稼動している。停電なわけはない。
どうも、何か変だ。
違和感を抱きつつ、俺はふと七階から覗ける外の光景に目をやってみた。

なんだこれは。
空が赤い。
朝焼けか、夕焼けか? だが今はそんな時刻ではない。
太陽も雲も何もない空だった。なんだかぞくりとするくらい鮮烈な赤。
今度は視線を地に下ろしてみる。
真っ暗、いや、真っ黒だった。
高速やビルの輪郭を示すシルエット。
それだけしか見えない。マンションと同じく一切明かりがない。

しかも。普段は嫌というほど耳にする高速を通る車の走行音が全くしない。
無音だ。何も聞こえない。それに動くものが見当たらない。
上手くいえないが、「生きている」匂いが眼前の風景から全くしなかった。
ただ空だけがやけに赤い。赤と黒の世界。

今一度振り返る。そんな中、やはりエレベーターだけは相変わらず明るく灯っていた。

わずかな時間考え込んでいたら、エレベーターのドアが閉まりそうになった。
待て。どうする。
降りるべきか。
それとも、留まるべきか。

今度は特に不審な動作もなく、エレベーターは大人しく1階まで直行した。
開いたドアの向こうは、いつもの1階だった。
人が歩き、車が走る。生活の音。外は昼間。見慣れた日常。
安堵した。もう大丈夫だ。俺は直感的にそう思ってエレベーターを降りた。

気持ちを落ち着けた後、あの二人のことが気になった。俺は階段の前で二人が降りてくるのを待った。
しかし、待てども待てども誰も降りてこない。
15分ほど経っても誰も降りてこなかった。階段を下りる程度でここまで時間が掛かるのはおかしい。

俺はめちゃくちゃに怖くなった。
外へ出た。
何となくその場にいたくなかった。


その日以来、俺はエレベーターに乗りたくても乗れない体質になった。
今は別のマンションに引越し、昇降には何処に行っても階段を使っている。
階段なら「地続き」だからあっちの世界に行ってしまう心配はない。
だが、エレベーターは違う。
あれは異界への扉なんだ。少なくとも俺はそう思っている。
もうエレベーターなんかには絶対に乗りたくない。


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