[亡者]

以前勤めていたある土木調査会社での体験です。
ちょっと長いですが。お付き合いしてください。

東京湾を望む広い埋立地に建っていたその会社は
バブル期の乱開発による不備(地盤沈下や排水不備等)の調査処理が本業でした。
が、陽気で人の良い社長は同時に大雑把で、関連業者からの依頼で
その他の雑務も処理していました。
例えば差し押さえた物品を空調設備のある会社一階の倉庫で管理するとかです。

就職してまだ間もない頃、
慣れない書類の整理が深夜近くまでかかったことがありました。
眠くなってきたので切り上げようとしたところ、外では雨が強く降っています。
まだ、開発されて間もない会社付近は夜は真っ暗でした。
また、一人暮らしでスクーター通勤の身としては帰るのも億劫で、
仮眠を取って翌朝早くに帰宅することにしました。
警備会社にその旨連絡し照明を省電モード(モーションセンサーで照明をコントロール)、
同僚のW君が教えてくれた場所から社長が買って置いてあるスコッチを少し頂き、
二階事務室の入り口横にあるキッチン兼仮眠室のソファアベッドに転がり、
掛け布団をかけて目を閉じました。
空腹にストレートのスコッチが染み渡り、しばらくは心地よく眠っていました。
が、慣れないせまいソファベッドのせいか、ふっとめがさめました。
雨がやんで人も車も通らない深夜の埋立地は恐ろしく静かです。
眠り直そうとするのですが、駅前通りのアパート暮らしの私にはその静けさが不自然で、
五感が鋭敏になり、かえって目が覚めます。
そんな中で隣接する事務所から妙な雰囲気を感じました。
腕時計は寝る前に脱いだ衣類と一緒にテーブルにおいてあるので何時かはわかりません。
早朝出勤の社員なら、ちょっとこんな姿は見せられないと思い起きあがりました。
でもそうなら社員がキーと暗証番号を使ってビルに入った時点で省電モードから就業時用モードに移行して
事務室の電気がつくはずです。
でも、扉の無いドアの向こうで何かが動く気配が確実にします。


何の因縁も無い湾岸埋立地の築数年のビルの深夜に動き回るモノなんて、
強盗の類だと思いますよね?音を立てて相手に気取られたらおしまいです。
幸いソファは事務室からは見えない位置にあるので、静かにソファの下に転がり落ち、
そこで最低限の衣服を身に着けました。
その間も壁の向こうのモノの気配に気を配っていたのですが、幾人かがただ静かに徘徊しているだけで、
机の引き出しをあける音や、社長室(金庫がある)へのドアを開く音などがしてきません。

一人でじっと息を殺してソファの影に隠れていると、恐怖感に押しつぶされそうになります。
先ほどからそのモノの動きが感じられなくなっています。
警備会社が気づいているならもう来ているはず、つまりセキュリティーはダメ。
ドアの無いこの部屋で電話もダメです。
なら、自力で逃げるしかない。
逃げ道は仮眠室の入り口を出れば、数歩で事務室から階段につながる廊下に出れます。

意を決して静かにドアに近づきそっと事務室を覗いてみると、
そこには青白い影がざっと5体いました。
3体ほどは事務室奥の社長室のドアの前にたたずみ、
2体は目の前正面およそ3メートルほどの位置にいます。
顔かたちなどはわかりませんが明らかにこちらを意識していると感じます。
その瞬間、こちらに気づいていない強盗から走って逃げようとしていた意思がポッキリ折れました。
体中の力が抜けその場に立ち尽くしてしまいました。
その二体の影が徐々に近づいてきます。
怖さのあまりその場にしゃがみこみ意識を失う(眠りこむ?)までの間、
左手首にある祖父からもらったお守りの小さな数珠に右手を伸ばすのが精一杯で、
教わった般若心経をとなえることなど思いつきもしませんでした。

どれぐらい経ったか、電気音とともに事務室の照明がつき気がつきました。
その数分後、腰が抜けてしゃがみこんでいる私を、朝の早い同僚のT君が見つけてくれ、
まだ混乱している私をW君がとりあえずアパートまで届けてくれました。
その日は社長のすすめで休ませてもらったのですが、
夕方に社長からの電話で近所の飲み屋で話があるとの連絡がありました。

飲み屋には私のスクーターが止まっていて、社員(6人)が勢ぞろいしています。
彼らは何だかわからないけど私を元気づけることが目的で集まってくれたらしいのですが、
私の話を聞いて幾人かは唖然としています。
が、社長以下数人は目配せをしています。というより、社長をにらんでいます。

手短にお話しすると。
一階の倉庫に収まっている物品は刀剣類や美術品が主という建前なのですが、
時々は取り立て先の位牌を持ってくる(外資?)業者もあるとのこと。
「見ざる、聞かざる、言わざる」の立場らしいのですが。社員のうち幾人かは数の合わない人の気配がするので、
早朝出勤と残業は避けているとのことなどの不満が噴出。飲み会は社長糾弾の席となりました。

翌日、倉庫の中を調べてみると、大きな木の箱の中に立派なお仏壇が入っていました。
中の位牌などは運搬中にひっくり返っていて目も当てられない状態で、
さすがに大慌てでその業者に引き取ってもらいました。
ただ、今にしてみるとあの青白い影達から害意は感じませんでした。
見知らぬ場所につれてこられ戸惑っていたのでしょうか。
それにしても、げに恐ろしきは恐れを知らない金の亡者ということですね。

(終わり)


次の話

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