[怪物「転」]
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イラッとした。
そんなこと、こいつになんの関係があるんだ。
私の表情に苛立ちを読み取ったのか高野志穂は「ゴメン」と頭を下げ、それでも意
を決したような顔で続けた。
「山中さん、なにか背負い込んでるように見えるから。もし手伝えることがあった
ら、手伝うよ」
そう言ったあと、彼女はもう一度「ゴメン」と頭を下げて、踵を返そうとした。
その瞬間、デジャヴの正体が急に分かった。
あのときも高野志穂は廊下で私に話し掛けてきた。そして『私も見たよ。怖い夢。
……山中さん。ちょっと占ってくれないかな』と言った。
あれはいつだった? クラスメートが「思い出せない怖い夢」について話している
のを初めて聞いた時だ。水曜日? いや、水曜日は学校を抜け出して石の雨の現場
を見た日だ。ということはその前。火曜日だ。
私の中で、微かに感じていた引っ掛かりが急に膨らんでいく。
高野志穂は占って欲しいと私に頼んだ。何を? 当然夢のことだ。そして、その時
点で彼女は私にトランプだかタロットだかで占ってもらうだけの"材料"を持ってい
たことになる。
「高野さん、お母さんを殺す夢を見た?」
高野志穂は驚いた顔をしたあと、コクリと頷く。
「火曜日の朝が初めて?」
彼女は少し首を捻り、思い出す素振りをしたあとで口を開いた。
「月曜日」
それを聞いた瞬間、私は唾を飲んだ。
みんなより、そして私より、3日も早い。私が初めて夢を覚えていたのが木曜日の
朝なのだから。
「来て」
と言って私は彼女の手を取り、教室に引き返した。
彼女は「え? え?」と戸惑いながらもついてくる。
教室の中に入り、私の机の中から市内の地図を取り出して広げる。
「あなたの家はどの辺?」
やけにカラフルになった地図を前にして高野志穂は少し躊躇する様子を見せたが、
私の顔を伺ってから人差し指をそっと下ろす。
オレンジの点で出来たいびつな円のほぼ中心を指している。
円は怪現象の目撃ポイントで構成されているけれど、サンプルが少なすぎるために
正確な円を作れていなかった。所詮クラスメートの噂話だけで集めた情報なのだ。
たまたま知らなかっただけの怪現象がもし円周の外側に付近にあったとすると、そ
れだけで円の形が変わり、その中心のズレてしまう。中心にこそエキドナがいるは
ずなのに。
だがこれでその中心の位置がほぼ判明した。
高野志穂の月曜日というのは"早すぎる"。だから彼女は中心から極めて近い地域に
住んでいる。間違いない。大雑把に引いた円周の線からも、ほとんど矛盾がない。
そこにあるのは、急激に「怖い夢」と怪現象が影響を拡大していく前の、小さな円
だ。
スッと彼女の指先の下にボールペンで丸をつけた。
エキドナはそこにいる。怪物たちの小さなマリアが。今も暗い部屋にうずくまって。
私は微笑みを浮かべようとして、それに少し失敗して、それでもなんとか笑って、
言葉を乗せた。
「助かった。……ありがとう」
高野志穂は、よく分からないままに礼を言われたことに不思議な顔をしながらも、
嬉しそうに「うん」と言った。