[吉村]
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だが、弁護士の手続開始を待たずして事件が起こった。
夕方、俺と菜美が菜美の家の近くのスーパーで買い物をして帰る途中
突然、目の前に吉村が現れた。
突然、俺たちの前に立ちふさがった吉村は、俺を無言のまま睨み続けた。
菜美は怯えてしまい、ガタガタ震えながら俺の腕に抱きついてきた。
俺も足の震えが止まらなかった。
俺たちは、その場から動けなくなってしまった。

吉村「おまええがあああ、菜美を騙したんだあああ」
吉村はうなるような大声でそう言いながら、バックから包丁を取り出した。
目は完全に、人の目じゃなかった。
情けない話だが、俺はビビッて声も出なかった。

「ちょっと落ち着いて。話をしよう?ね?」
吉村に話しかけたのは、意外にも俺にしがみ付いて震えてる菜美だった。
吉村「菜美。俺のこと覚えてるか?俺だよ、俺」
菜美「あ、うん。吉村君だよね。憶えてるよ」
吉原「ありがとう。うれしいよ。やっぱりお前は、俺を見捨てられないんだな」
菜美「見捨てるとか、見捨てないとか、そんな話した憶えないよ」

吉原、しばらく号泣

吉村「菜美。お前はその男に騙されてるんだよ。
今俺が助けてやるからな」
菜美「ちょっと待ってね。二人で話そうか」

そう言うと菜美は俺の耳元に口を近づけて小声で
「逃げて。お願い。私なら大丈夫だから」と言った。
俺「出来るわけないだろ」
菜美「お願い。二人無事にすむのはこれしかないの。
私は大丈夫。今度は、私が俺男守るから。」
俺「……じゃあ俺は、2mほど後ろに下がる。
いいか。吉原との、この距離を保て。
この距離なら、万が一にも俺が対処できる。」
菜美「分かった」

俺は少し後ろに下がった。
驚くほど冷静な菜美の言葉を聞いて、体の震えが止まった。
今、自分が何をしなければならないかが、はっきり分かった。
「私が俺男守るから」と言う言葉を聞いて
刃物の前に飛び出す決心が固まった。
最悪の場合、俺は全力で菜美を守る。

菜美と吉原が話している最中、
騒ぎを見に来た40代ぐらいの男性と目が合った。
俺は声を出さずに「けいさつ」と口だけを動かした。
見物人の中年男性は、うなずいて渦中の場所から小走りに離れて行き
50mほど先で電話してくれた。

その間も吉原は「俺たちは結ばれるんだよ」とか
「お前は俺を酷い男だと思ってると思うけど、それは違う。
おまえはこの男に騙されてるんだよ。
こいつが、あることないこと吹き込んでるだけだから」とか
「結婚しよう。将来は生活保護もらって、お前を幸せにするよ」とか
聞くに耐えない話を延々と続けていた。
菜美は適当に話を合わせて、吉原の会話に付き合っていた。

それにしても、何なんだ吉原は。
以前も訳が分からないやつだったけど、今は前以上だ。
支離滅裂で会話にさえなってない。

それにここは、確かに商店街ほど人通りは多くないが
人通りが少ない場所じゃない。
俺たちは、なるべく人通りの多いところを歩くようにしてたけど
それにしても、よく使う道でもっと人気のない場所なんていくらでもある。
一体、何考えてんだ?

子供連れのお母さんなどは、刃物を持って大声出してる吉原に気付いて
大慌てて逃げて行く。

吉原が菜美に近づこうとしたときは少しあせったが
菜美が「まだそこで待ってて。まだ二人が近づくには早いの」
と言ったら、吉原は近づくのを止めた。
すごいと思った。
この短時間で、菜美は支離滅裂な吉原の話に上手く合わせていた。

続く