[輪廻]
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H刑事に小声で「下に降りています」と伝え、階段を駆け下りた。
 私は探偵(一般人)だから、彼の同僚がくるまえに現場から離れておかないと
迷惑がかかる。それに、一刻も早く、エレベーターホールから玄関へと続く
血の行方を知りたかった。
 したたる血は、歩道へと続き、車道でピタリと消えている。犯人は車に死体を積んで
逃走したらしい。

 H刑事が初老の男性といっしょにマンションから出て来た。目撃者だ。
 彼の話によると、ギャーッという悲鳴が聞こえたので自室のドアの覗き穴から見たところ、
ガイシャの部屋のドアの前に女性が立っていた。異様なくらい髪の長い女だ。
しばらくすると、若い男が、何やら大きな袋をひきずって出てきた。
 不審に思った彼は、アベックがエレベーターに乗ったのを見て、階段で下に降り、
車にその袋を積むところやナンバープレートをしっかり記憶したという。
 はじめは怨恨による殺人事件かと思ったが、殺り方がずさんすぎる。人に出くわす
可能性の高いエレベーターで死体を運ぶというのは、目撃されることすら恐れていない
ことを意味している。
 私はH刑事に聞いた。
「手配は?」
「しないよ。この手のホシ(犯人)は、下手に手配して追い詰めると、興奮して
また殺しをやるかもしれない。先に身元を割り出して迎え(逮捕)に行くよ。たぶん、
精神異常者の犯行だろう。逃げも隠れもしていないはずだ。」
 彼は同僚の刑事三人とともに、ナンバープレートから割り出した犯人・間田英雄(仮名)
宅に向かった。
 私も、そのあとをついていく。
 犯人の家は千葉県八街町にあった。ごく普通の建売住宅だ。
 カーポートに白いマークU。バンパーに血のりがついている。
 刑事がチャイムを鳴らすと、三十歳前後の男が目をこすりながら出て来た。

「どなたですかぁ?」
 ひょうひょうとしている。しかし彼の目を見たとたん、背筋に激しい悪寒が走った。
 常人ではない!
 ひどい三白眼は、血の通った人とは思えないほど鋭く冷たい。
 私は息を呑んだ。
 わずかな時間をおいて、ちがう刑事が男に尋ねる。
「今日、君はどこにいっていたのかなぁ?」
「えーと、秋葉原」
「そう。今、家の中には誰がいるの?・・ふんふん、ご両親と妹さんね。すまないが、
ちょっと・・・・」
 男の肩に手をかけた瞬間、そばにいた二人の刑事が彼の両腕を素早く押さえた。
男はひと言も抵抗らしき言葉を発せず、されるがままになっている。
 刑事たちは男を車に押し込むと、静かにドアを閉め、尋問を開始した。
 しばらくして、応援の車両が続々と到着。鑑識も含め、その数は二十人ほどに膨れ上がる。
 捜査員に抱きかかえられるようにして、男の妹が出てくる。端正な顔つきだが、
やはり非人間的な眼つき。髪は異様なほど長く、ふくらはぎに届いている。
それに彼女の青白い顔がつくと、円山応挙が描いた幽霊画そのものだ。
 問題のトランクが開けられると、えび茶色の布団袋が現われた。ついさっき
殺されたばかりの死体がはいっている。トランク内はさほど汚れていない。
自分の部屋に血液を出し尽くしたのか。

ひもを解くと・・・・。

続く