[鉢合わせ]
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必死に後退を続けていたわけだけど、頭の中は混乱し始めていた。
後退して球体から出るときは、足の先で穴の位置を見つけてそこから抜け出すようになるんだけど、
なかなか爪先が穴のふちに当たらないのだ。
そんなに奥まで入ってたっけ?そう思いながらも後退を続ける。
もうひとつのズッズッという音は順調に前進を続けている。
俺はますます焦ってきた。
なぜって、その音は確実に正面から自分に近づいてきているからだ。
このままだと爪先が出口を見つける前に鉢合わせてしまう。
面倒だから早く脱出しないと、と俺は後退を続けた。
もぞもぞともたつく俺に、ズッズッ、ズッズッ、ズッズッ、という音が確実に近づいてくる。
球体内通路のカーブのすぐそこまで来ている感じだった。
ようやく俺は何かがおかしいことに気付いた。
閉館案内の放送とともに流れるはずの音楽がまったく聞こえない。
後退を止めた自分の鼻息とズッズッ、ズッズッという音だけが聞こえる。
音だけ、だ。
普通、ダンボール製のこの遊具の内部で人が動いているときは、
それなりの振動が遊具全体に伝わるはずなのに。

でも、音だけは確実に俺に迫ってきていた。
こういう話でありがちなんだけど、「よせばいいのに」って行動、
本当にとっちゃうものなんだよね。
ほふく前進ならぬ、ほふく後退をしていた俺は首が楽なように
床面を見ながら移動していたわけで。
後退を始めてからは首を上げて通路の前方を見ることはしていなかった。
なんで顔を上げちゃったんだろうと今でも後悔してる。
ズッズッ、ズッズッって音がやんだ一瞬、無意識に顔を上げた俺が見たものは、
俺の顔から30センチほどの距離で怒りの形相をしたオッサンの顔だった。
うわっ!と思った瞬間、足を思いっきり引っ張られた。
もうチビリそうだった。
足を引っ張ったのは児童館の先生で、「帰りなさい」と俺に言ってきた。
俺はダッシュで児童館を飛び出した。

以来、その児童館にはいかなくなった。


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