[子を呪う親]

親父が死んでからちょうど今日で一年たった。
キリシタンだから一周忌とかないんだけど
親父はキリスト教の神父だったけど幽霊の存在も認めていた。

同じ体質の俺もキリスト教に入るかどうか未だ迷っている
ほかの神父や教会の人たちからは異端というか悪魔憑き扱いされていた親父だったが
不可解な存在に悩む人たちを無償で助け続けた人生だった。

我が家と親父を襲ったさまざまな悲劇をここに書いてもいいだろか?
誰にも言うなと言われたが親父の生き様を自慢させていただいてもいいだろうか?

はじめに
キリスト教にもたくさんの種類があるのでよそのことはよくは知らないが
キリスト教の考え方は基本的に死んだ人間がこの世に化けてでることはないとされている。
つまり幽霊というものはいない。という考え方だ。
幽霊が見えたならそれは悪魔が幻覚を見せていると考える。

親父は小さな頃から幽霊というものがよく見えたらしい。
気が狂いそうになる中で救いを求めたのがキリスト教だったと聞いている。
だがそれでも幽霊は見え続けいつしかそれ(霊)を救えるようになったのだという。
それは神様のお力添えがあったからで自分は幸せなのだと常に言っていた。

教会には2週間に一度はこの手の悩みを持った人が現れていた。
親父は一人一人の話を親身に聞いて悩みが解決するように頑張っていた。

でもやっぱり狂ってしまって1年前に首を吊って死んだ。

神でも救えないほどいろんな出来事があった。
自慢話に聞こえるかも知れないが自慢の父の話を書かせて欲しい。

ある日のこと
学校から帰ってくるとウチの小さい貧乏教会にパトカーが止まっていて中に警官が2人いた。
何事かと母に聞くとなんでも「秋山さん(仮名)が暴れて倒れた」との事。
近所の人が大声にびっくりして勝手に気を回して警察を呼んだらしい。(そのくらいいろいろあることで有名だった。)
そのまま秋山さんは警察に抑えられるようにパトカーに乗せられた。
親父もあとで警察に来るように言われていた。

秋山さんは45才くらいの独身のおばさんで最近、教会に通うようになった人だ。
こんなことを書くと語弊があるのだが日本で宗教に入る方は心に病気を持っていたり
社交性が低いことが多い。無宗教の人から見るとみんなでわいわいやっているように見えるが
決してそんなことはない。人知を超えた神という存在があるからこそまとまれる人たちであって
通常のルールやマナーでは浮いてしまうような人が集まってしまうこともある。
決してその人達が変人な訳ではなく、ウチの教会で言えば見えてしまう人や憑かれてしまっている人だと言っても過言ではない
もちろん基本的にはいい人達なのは言うまでもないが・・・

続く