[存在しない本]
前頁

やったことある人なら分かると思うけど、段ボールとかお菓子の箱の紙とか、
薄い紙を何枚も重ねてあるような紙を一枚一枚剥く、あんな感じで。
ただ違ったのは、ページは元々大きな一枚の紙だったものを折って重ねた物だったということだ。
だから坂さんの行為は「剥ぐ」より「開く」の方が正しいのだろう。
開いた中――折り畳まれていた内側を、坂さんは僕に見せてくれた。

くすんだ赤色で書かれた筆記体の文章と、訳の分からない図。
読み取れるものは何一つ無い筈なのに、目にした瞬間に強烈な不快感が体を襲った。
これは見ちゃいけないものだ。本能が僕に訴えかけた。
必死で目を反らした僕を笑い、坂さんは紙をひらひらと動かした。
「反魂の秘術――らしい。ラテン語やからよう読めんかったけどね。
インクに血が混ざっとるみたいやし、少なくとも書いた本人は本気やったんやろ」
君の反応からしたら本物っぽいわ、と嬉しげな坂さんの声を聞きながら、僕はただただ早く帰りたかった。

さて、これだけでも僕にとっては気持ち悪い話なのだけど、実は後日談がある。

本を見せてもらってから一週間ほど経ったある日の朝、また坂さんから電話がかかってきた。
すぐに来いと言われたので、学校をサボって僕は店に行った。
まず最初に感じた異変は臭いだった。坂さんの店に近付くに連れて、魚が腐ったような強烈な臭いがするのだ。
店はもっと酷かった。
引き戸のガラスが割られ、店内は滅茶苦茶に荒らされていた。
自称武久夢二の絵も破かれていたし、テレビは画面が割れてブラウン菅が見えていた。
おまけにバケツでもひっくり返したかのように、店中が濡れていた。
坂さんは相変わらずレジスターに肘をついて、動かないテレビを眺めていた。
僕に気付くと、坂さんはバケツと雑巾を引っ張り出してきて、僕は片付けを手伝わされた。
そのために呼ばれたらしかった。
「なにがあったんすか!?」
「泥棒」
落ち着き払った様子の坂さんに、僕はそれ以上何も聞かなかった。
何が盗まれたのか見当はついたし、誰が盗んだのかは、
床といわず壁といわずこびりついている魚の鱗を見れば、考える気も失せた。
代わりに、壁を雑巾で拭きながら、「意外と早くバレてもうたなぁ」と呟く坂さんとの付き合い方を、少し本気で考えた。


次の話

Part178menu
top