[小屋と女の人]

幼稚園に入るか入らないか、まだ上手く言葉を紡げなかった頃の話。
当時から俺は結構「見る」ことが多かった。
その辺はもう記憶が曖昧で何を「見た」のかはほとんど忘れてしまったが、寝室にあった古いタンスや海外土産の黒人人形、秋田土産のなまはげお面を処分する原因を作ったのが俺だったのは、覚えている。
だが一つだけ鮮明に覚えてる体験がある。


当時の俺は体格に似合わず酷い小児喘息持ちで、頻繁に発作を起こしては深夜の民間医に駆け込んでいた。
その日も例のごとく発作が俺を襲い、浅眠中だった母を叩き起こして医者の下へ車を向かわせた。時計は12時を回っていた。
幸いにも医者の宅は俺の家から1kmもしない距離にあったため、直ぐに診察と応急手当をすることができる。
…車が動きだす。


1分ほど経った頃だろうか、俺はあえぎながら助手席で何か違和感を感じていた。

着かない。

普段はもうそろそろ駐車場に入ってるはずなのに、車は未だ曲がりくねった林間の細道を走っている。
木々に遮られた道路は微かな月光を阻み、脇へ漏れた車のハイビームが幹の列を林奥の方まで照らしていた
母はもうすぐ着くから、もうすぐ着くから、と俺の胸をさすってくれていたが、道のりが長くなっていることにはまるで気付いていないようだった。
そうこうしてる内に俺の症状はどんどん悪化し、熱と酸欠で次第に朦朧としてきた。恐らく、今までで最も酷い状態にまで達していたと思う。
その時、車は一際大きなカーブにさしかかった。医者宅の手前の山を迂回するように造られたカーブだ。
ここを過ぎれば山を抜けて民間の密集した場所に出る。
そこでふと、なぜかは解らないが見なければならないような気がしたため、俺は窓の外に視線をやった。

そこで俺は見た。カーブの途中、少し林に入ったところにある誰のとも知らない古い物置小屋…そしてその小屋と同じくらいの身長の白い着物を着た女性の姿を。

次の瞬間、口から赤い鉄の味がするものが溢れてきた。


その後気が付いた時、俺は喘息から解放された状態で病院のベッドにいた。
どうやら軽い吐血の後気を失った俺に、それまで拒み続けてきた手術を施したのだという。
だがその時は喘息が無くなった嬉しさの他に、もう一つ残る感覚があった。

あの女の人は…

しばらくしてその事を親に話したが、何か取りにきた人じゃないの?くらいの反応しかなかった。夜中の12時過ぎに…。

数年後、父の仕事の関係でその土地から離れることになった。俺は今までお世話になった医者に挨拶をすべく、細道を最初で最後になるだろう自転車で下りおりていた。
そして例の小屋の前に差し掛かって、少しブレーキをかけた。
そういえばこの小屋を近くで見るのも初めてだな…
そして次の瞬間、あの時の事をふと思い出して俺は全身の毛が逆立った
その小屋は軽く3mを超えていたのだった。

結構実話です
それ以降露骨な接触はないけど、親族が死ぬ時に何かしら虫の知らせ的なのを受信するようになりました


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