[ともだち]
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それならば俺にも経験がある。
と言っても覚えているわけではないが、両親いわく「お前は仮面ライダーと喋っ
てた」のだそうだ。
まだしもかわいい方だ。
『ゆうちゃん』とかありそうな名前をつけて、誰もいないのに「ゆうちゃんもう帰
るって」なんて言われた日には親は気味が悪いだろう。
もう一度身を乗り出して幼稚園の庭を覗いてみる。
帽子の色で、年齢をわけているようだ。
青いタイヤのあたりには、赤い帽子が見える。赤の帽子は年長組らしい。
目を凝らすと、おさげらしき髪型だけが確認できた。
師匠の言う、奇妙な物体は見えない。
しかしこの異常に霊感の強い男に見えるということは、ただの想像上のともだちで
はないということなのか。
「いや、霊魂なんかじゃないと思う。気味の悪い現われ方をしてるけど、あの子な
 りのイマジナリーコンパニオンなんだろう。僕にも見えてしまったのは、何故
 なのかよくわからない。ひょっとしたら彼女の感覚器がとらえているものを、
 混線したようにリアルタイムで僕のアンテナが拾ってしまっているのか……」
あの子は強烈な霊媒体質に育つかもね。
そう言って師匠は慈しむような目で幼稚園児を見つめるのだった。
攣りそうなくらい首を伸ばしても、その女の子の輪郭以外には何も周囲に見あたら
ない。
追いかけっこをしている一団がタイヤの前を駆け抜けて、その子の描いている絵の
あたりを踏んづけていった。

ここからでは表情は分からないが、淡々と絵を直しているようだった。
「で、その空想のともだちってどんなのです? 今もあの子の近くにいるんですか」
師匠は、「う〜ん」と唸ってから「なんといったらいいのか」と切り出した。
「2頭身くらいのバケモノだね。顔は大人の女。母親じゃない。実在の人物なのか
 もわからない。けどたぶんあの子になんらかの執着心を持っている。体は紙粘土
 みたいなのっぺりした灰色。小さな手足はあるけど、あんまり動きがない。ニコ
 ニコ笑ってる。あの子の絵の上でゆらゆら揺れている。今、僕らの方を見ている」
一瞬にして、鳥肌が立った。
誰かの視線をたしかに感じたからだ。
「普通、他の子どもが大勢いる場所ではイマジナリーコンパニオンは現れない。本
 人にとって孤独さを感じる場面で出現するケースが多い。だけどあの子の場合は、
 幼稚園という空間さえ極めて個人的なものになってしまっているらしい。今はあ
 の物体に完全に捕らわれているように見える」
一度、迎えに来た母親の後をつけようとしたけど少し離れたところに高そうな車を
とめてあって無理だった、と師匠は言った。
その時、白い壁の向こう側でエプロン姿の若い先生と、園長先生らしき年配の女性
がこちらを指差して何事か話しているのが目に入った。
焦った俺はとりあえず自転車に飛び乗って逃げた。
あとから師匠が手を振りながら走ってついて来ているのに気づいていたが、無視した。

部屋の外にいても、テレビがついているのがわかる。
音なのかなんなのかよくわからないが、とにかくわかる。周囲の人に聞いても
「あ、わかるわかる」と同意してくれるのでたぶん俺だけではないはずだ。
だからそのときも、ただわかったからわかったとしか言いようがないのだった。
幼稚園から逃げ出したその日の夜である。
そのころ完全に電気を消して寝るくせがついていたので、ふいに目を覚ましたとき
も暗闇の中だった。
自分の部屋の見慣れた天井が、うっすらと見える。ベッドの上、仰向けのまま半ば
夢心地でぼーっとしていると、テレビがついているのに気がついたのである。
部屋の中のテレビではない。薄いドアを隔てた、向こうの台所でどうやらテレビが
ついているようだ。
そちらに目を向けるが、ドアについている小さな小窓の輪郭がかすかにわかる程度
で、その小窓の向こうには光さえ見えない。

続く