[壁のシミ]
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除霊とかお札とかを予想していた幼い兄弟の期待は無残にも裏切られ、親父は久し振りの日曜大工にご機嫌な
ご様子で鼻歌交じりにベニヤを鋸で切ると、問題の壁に釘で打ち付け始めた。
所要時間15分足らずで作業は完了し、問題のシミは視覚上だけ“無かった”事にされた。
これで今日もここで寝ろと!? ベニヤ板の上からまたシミが浮き出てきたら!?
俺と弟は口々に不満を爆発させたが、俺の仕事に不満があるのか!?と親父の理不尽な鉄拳制裁で武力制圧され
泣き寝入るしかなかった。
 
結局、それから新たな何かが起こる事は無かった。
数日間は真新しいベニヤ板の向こう側に脅えて寝るどころではなかったが、2日経ち、3日経ち、何事も無い事を
確認すると急速に恐怖感は薄れ、何時しかそこにシミがあった事すら忘れたまま、俺達は数年後マイホームに
引っ越した。

とんとんとん。
 
もそもそとリビングで2人っきり、夕飯を食っていた俺と母親は同時に天井を見上げた。2階の俺の部屋から“足音”が
数歩分響き、消えた。
あの日以来、怪音現象は起きたり起きなかったりだ。
ただ、分かって来た事が幾つかある。
“足音”は2階にある俺の部屋の中とその周辺、そして階段の中程と限定された場所以外から聞こえない。
それともう一つ。マイホームと言っても安普請。大人が遠慮なく歩けばドスドスと鈍い音が響く。対して
“足音”は余り響かない。心なしか歩幅も狭いように思える。
子供の足音のように。
自分の考えにぞっとすると同時に、何故かあの壁のシミを思い出した。
俺達が引っ越した後、あの部屋に誰か住んでいるのだろうか。あのベニヤ板は今どうなっているだろうか。
ふと試しにアパートの話を振ってみた。母親曰く、あの部屋も既に誰かが入居しており、ベニヤ板もそのままらしい。

「何で」
「ん?」
「赤ん坊を受け取らなかった? オカンにしては珍しい」
母親は保育園で保育士のマネゴトのような仕事をしている。子供が大好きな人だから、早く孫の顔を見せたいとは常に
思っているが、中々相手を捕まえられない自分を不甲斐無くも思っている。
「子供好きだろ?」
「あの子はね」
「ん?」
「あの子はお母さんじゃダメなの」
「ああ、まぁそりゃ実の母親が育てるのが一番だろな…夢の中で“実の母親”とかも無いだろうケド」
母親の言葉に何らかの含みを感じつつ、ぼんやりとそんな台詞を返す。母親も「んー」と珍しく生返事を返し、お新香を
バリバリと噛んだ。
ああ、そう言えば。
「あのさ、俺以外に誰か帰ってきてる?」
「ん? お兄ちゃんは泊り込みで仕事、小吉(弟)は10時頃帰るって言ってたし、お父さんはカラオケ」
「じゃあさ、さっき2階で足音したのは何だ?」
そう言えば気付いた事がもう一つ。“足音”は誰にでも聞こえる訳ではないらしい。あれから親父と兄貴、それぞれといる
時に怪音を耳にしたが、2人とも「何も聞こえない」と首を傾げるだけだった。
では母は? 確かに先程のあの時、母親は俺と一緒に天井を見上げていた。
母親は一瞬きょとんとした顔をして、しばらく俺の顔をじっと見つめた後、
「気の所為でしょ」と笑った。

絶対聞こえてやがる、と気付きはしたが、母親が“足音”の正体に薄々気付いていた事まではこの時はまだ気付かなかった


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