[葬式]
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ふと、子供の頃に体験した不思議な出来事を思い出した。

「お葬式にいくのよ」と、母親に連れられて人が沢山いる場所に行った記憶。
随分早く着いたようで、砂利が敷き詰められた敷地の中で、始めて見るような
おじさんやおばさんたちと挨拶を交わす母親について回っていたが、それもだん
だん退屈になり、「おしっこ」と言ってその場を抜け出した。
一人で歩いていると、立ち並ぶ大きな花の陰に手招きしている女の子がいる。
遊ぼうよ。と言うのである。
そして二人してあちこちを探検して回った。大人の気づかない楽しい場所を探して。
やがて母親に見つかり、「お焼香あげるのよ」と連れ戻される。
あの子はどこに行っただろうと振り返るけれど、姿は見えなかった。
木屑みたいなものをチロチロ燃える灰の中に落として顔を上げると、匂いの強い
花に囲まれた写真立ての中に、さっきまで遊んでいた女の子がいる。
死ぬということがよくわからなかったころ。
それでも、よくわからないままに、なぜか少し悲しかった。

そんな思い出に浸っていると、斎場がざわめき始める。
告別式が終わったようだ。まだ1時間も経っていない。昔は坊さんのお経が延々
と続いて、やたらと長かった印象ばかりあるが。これも時代性なのか。
俺と師匠が見ている前で、出棺のための霊柩車が回されてくる。
いつ見ても冗談としか思えないフォルムだ。
やがて見送りの多くの人々の前で白木の棺桶が車に積み込まれる。
その中でハンカチで涙を拭くおばさんが目に入ったが、横顔をじっと見ていると
演技だとわかる。溜息が出そうになったが、その時、ハンカチを持ったその手に
うっすらと輪郭のまとまらない影が掻き付いているように見えた。
よく見ると、喪服姿の人々の手にあたりに多くの影がまとわりついている。

吐き気がして、口を押さえる。
影はのろのろと動きながら、手の中でも指、それも親指をさわったり握りこんだ
り、つまんだりしている。
されている人は気づかない。
これから発車しようする霊柩車を思い思いの悲しみ方で見守っているだけだ。
師匠の顔を見ると、「くだらない」と一言いって肩を竦めた。
霊柩車を見たら、親指を隠せ。
そんな迷信が確かにある。俺も小さい頃、いつの間にかすり込まれていた。
迷信だとばかり思っていた。
目の前の光景に、棒立ちの足が震える。
師匠が俺を見て「迷信だろうが、なんだろうが」と言った。
「日本人のコモンセンスになってしまったものは、死者にとってもそうなのさ」
辛うじて人の形を模している影たちが、昼ひなかの道路に蠢いている。そして
居並ぶ人々の親指を、ひたすらいじっている。まるでどうしていいか分からない
様子で。
なんだかとても悲しくなった。
「小山田与清っていう江戸時代の随筆家が『松屋筆記』の中でこんなことを言っ
 ている。親指の爪間から魂魄が出入りするために畏怖の時には握り隠すってね。
 昔からある迷信なのに、なぜ隠すのかって部分が忘れ去られてしまっている。
 教えてやれば、きっと喜ぶよ」
喜んで、親指の爪の間から入りこもうとするよ。
気持ち悪い。
蠢く影。甲高いクラクションの音。白々しい涙。黒と白の幕。
耐え難い吐き気と、俺は戦い続けた。


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