[因縁]

父は競馬に傾倒し、かてもしない馬を買う等と愚かな人でした。
稼ぎもなくこんなまねをしていれば方々で借金をつくるのは当たり前。
そのなかには利子が十日で五割などというものもあったようです。
私は当時何もしらず、あるとき父が久しぶりに家に寿司をとってくれて喜んでそれを食べている最中に、
何か、入れられていたんでしょうね。まぶたが落ちてきてそのまま意識を失いました。
気が付いた時には手遅れで、細かな敬意は省きますが私は父が私を売った金額分稼ぐまで風俗で働くことになったのです。

慣れってこわいもので一年も働くと、最初の頃はあてがわれた雑居部屋に帰るなりめそめそ泣いて、同居の人たちにうるさいとまでいわれていた私も鈍磨し。
こうなったら一日も早く借金を返して足を洗おうとがんばれるようになりました。
そう器量が悪かったからでしょうか、店に来たお客様の中で私を気に入ってくださった方が、ビデオのお仕事を紹介してくださったり等して。
同じ時期に入った人たちの中ではかなり稼げているほうで順調に借金を返せていました。

ところがです、父は私が稼げていると知ると彼らからまた金を受け取っていたようです。
それでも賢明に借金を返そうとがんばっていたら店の中でとうとう指名No.1にまでなってしまいました。
それを聞いた父は恥ずかしげもなく私を売った金で私を買おうとしましたが。
さすがにそれは許せず舌を噛み切ろうとして店の方に追い出していただきました。
その代わりに父は私が出演したビデオを見て何度、その
ともかく、父はこんな人でしたから私は彼を憎みました。
店に勤めるようになって三年もすると私の待遇はかなりよくなりました。
ですから、監視の方づきで遠出の外出も許されるようになったのです。
当時の私の週二日の休みは丑の刻参りや、今思えば浅はかな呪いに頼る日々でした。
憎まれっ子世にはばかるものなのに。

父がある時、都内のマンション住まいをしていた私のもとをたずねてきました。
当然、体を狙われたこともありますから、部屋にあげるなんてしません。
最初はインターフォンから姿をみるなり無視をしていました。
ところが不思議なことにあれだけ傍若無人な父が、ドアをたたきもせずに帰ってゆくのです。
数日起きだったそれは頻度を早め、日参してくるようにもなりました。
日に日に顔が黒ずんでいってとても普通の状態ではありません。
それでもあの父は行儀よくインターフォンを押すだけ押して。10分ほど待って出てこないと悟るとかえってゆくのです。
出勤の際に待ち伏せでもしそうなものですがそれもありません。
そんな生活が一念以上つづき私が風俗に沈められてから五年程たった時、私はようやく父とインターフォン越しに話をしました。
「何しにきたの?」
「お前が呼んだんじゃないか」
「呼んでなんかいやしないわ。大体、あなたが殊勝に来るような人かしら? どうせお金の無心にきたのでしょう」
私は借金が増やされた後、次に同じことをされたら即座に死ぬと店の上部組織につたえておいたのです。
だからてっきりお金が借りられずにいるとおもったのですが。
「ああ、そうだな。 お前には自覚がないんだ、でも俺は確かにお前に呼ばれてきたんだ。 頼むどんなにしてもよいから許してくれ。」
というのです。
その様があまりに、横暴な父にしては気弱で不可解で。
ともかく危険はなさそうだったので私は仕方なく部屋にあげることにしました。

続く