[社員旅行の怖い話]
前頁

死を覚悟した瞬間、足がなにか硬いものに当たりました。
流木か? いや、岩だ!!
T氏は、その小さい岩を、思い切り蹴りました。何度も何度も蹴りました。
水面に見える光が少しずつ近づくような気がしました。
ブチブチという衝撃が体に伝わり、体の自由が徐々に回復してきます。
T氏は、残り少ない力を振り絞り、懸命にその岩を蹴り続けました。
そして……ようやく水面に生還しました。
精も根も尽き果てたT氏を海から救い上げたのは、T氏の弟さんでした。
 
『あのときは、夢中だったんだ……!』
 
T氏を浜まで連れてきた弟さんは、T氏の全身を改めて見て、背筋が凍りました。
海草だと思っていたのは、長い長い髪の毛でした。
大量の長い髪の毛が、T氏を絡め取るように纏わり付いていたのです。
 
T氏の家族は、そのまま海を後にしました。
その数日後、顛末の一部を聞いていた例のなじみの民宿から、弟さんに連絡がありました。
地元新聞の記事によると、T氏が溺れた現場の近くで、女性の水死体が上がったと。
そして、そのご遺体には、髪の毛がまったくなかったと。
まるで、頭からすべての頭髪を乱暴にむしり取られたかのように……。

『あのとき俺が蹴ったのは、本当に【岩】だったのか……!』
 
T氏は、いつのまにか泣いていたそうです。
 
『あのときの感触は、いまでも残ってる。忘れられないんだ。』
『流木のように足に当たったのは、腕かもしれない。』
『俺が蹴り続けたのは、頭かもしれない。』
『俺は、道連れにされそうになったのかもしれない……』
『だけど、俺が彼女の最期の希望だったのかもしれない!!』
 
T氏は、泣きながら木の箱をあけました。
そこには、……きれいに束ねられた髪の毛が入っていました。
 
『辛いんだ……、いろんなことが、いまでも辛いんだよ……!!』
 
T氏は、箱を抱えて号泣してしまいました。
誰も声をかけられなかったそうです……。
 
それからまもなく、G氏は子会社出向となり、T氏とは疎遠になったそうです。
しかし、あのときのT氏と、束ねられた髪は、忘れられないそうです


次の話

Part149menu
top