[千晴]

千晴ちゃん、そろそろ起きましょうか?ほら今日はとってもいい天気。


病院といってもここには命の境で苦しむ人はいません。ここには心に傷を持った人達が
ゆっくりその傷を癒すために暮らしているといった感じといいましょうか。
二週間前、女の子が御家族の方々とこの場所へ訪れました。
ここは従来思われがちな陰気でどこか隔離されたような場所ではなく、正面にはバス通りが面していて
ここの周りは花に囲まれていて特に隔離された感はありません。
そんな理由からか、ここを選ぶ人は多いのです。
女の子はとても愉快で元気な子でした。だからすぐにここの環境に打ち解けることができました
ここにいる人達は密接に繋がっています。楽しいときを一緒に共有できるのです。
でも楽しいことばかりではありません、誰かの傷が溢れて悲しさが伝わったとき私達は涙を共に流します。

千晴ちゃんには仲の良いお友達がいました。その夏樹ちゃんは死にました。
殺されたのです。目の前で。

今時の女の子はこんなにも成長が早いのか!私は驚きました。
私は女の子と話をしていてまるで同世代と話している錯覚を覚えました。
でも、とっても澄んだ心を持ちまだ見ぬ将来を楽しみにしているような綺麗な目は私らの歳になるとなかなか持てません。
羨ましかった、そんな女の子と話すことが私の楽しみになっていました。
ある日、女の子はここは変わっていると話しました。
ここの人達はお医者さんと患者さんって感じしないね。
それがここの最大のウリなんだよ。と教えてあげました。
常にきれいに磨かれている廊下、壁はいつ見ても真っ白。少しでも汚れればそこだけが異様に目立ってしまうでしょう。
私は廊下の窓から外を見るのが好きです。青い空とここを囲む綺麗な花たちが心を洗ってくれるような気がするから。

千晴ちゃんは何も言えませんでした。そのことについては何も語りませんでした。
いえ、語れなかったのです。あの時の事を

近頃私から距離を置こうとしている人達がいます。
ここの特色はお医者さんと患者さんとの壁をなくしたところにあります。確かに変わっているでしょう。
それが合わないのかな?
私のやっていることが気に食わない様です。一人の患者さんが言っていたのを聞きました。
そんなつもりはないんだけど・・・。
先生は仕方ないこと傷を持っている人のことは深く考えないことだと私を諭しました。
部屋へいくと話し声が聞こえてきました。どうやら内容は怖い話。私はこの手の話が好きなんですよ。
彼は夜な夜な息苦しさに襲われるようで、ある日彼は見てしまったそうです。
彼の首を締め付ける人影を・・・。と、べたな話でした。
ここの人達は他愛無い会話で一日を過ごしています。私はそれがとても羨ましいと思いました。
こんな私が忙しい時だって、この人達は、愉しい会話をしている。

千晴ちゃん。本当のことをおじさんに教えてくれないかな・・・・。
あの時何があったんだい?あの時何をしてたんだ?

ここにいる人達はなにかしら心に傷があります。一緒に生活をしていくとその傷は何となくわかってきます。
私達は楽しくお話をしている時も少しでも傷に触れないよう心掛け言葉を選んでいます。
例えば、そこのおばあちゃん。おばあちゃんは息子さんを失いました。
たまに鏡の向こうにいる息子さんとお話をしている時もあります。
でも、傷を抱えながらも今を輝きながら生きているように思います。
現実は時に牙を剥きます。神様、どうか私を苦しめないで。

千晴ちゃんは何を聞かれても答えることが出来ませんでした。
目の前で見ていたのに、何が起きたかわからなかったから。

夜中巡回をしていると、お姉ちゃん、あの子の声が聞こえてきました。こんな夜中に?
部屋へ行くとすでに彼女は寝ていることがわかりました。
寝言?彼女の寝顔を見ていると胸が締め付けられるような感覚を覚えました。
愛しい。カワイすぎてギュッとしたくなるような感じでした。
それは突然のことで今でもよくわからないのですが。
金縛り?体が動かないのです。誰かが部屋に入ってくるのが分かりました。
突っ立っている私を通り過ぎ彼女のもとへ。
その影が彼女に両手を伸ばし首を抑えつけたのが見えました。
彼女が苦しんでいる顔が脳裏に焼き付きます。その時間は何時間とも思えるぐらい長かったのを覚えています。
やめてっ!!私は叫んでいました。体は自由を取り戻した様です。
彼女を苦しめていた影は姿形もそこにはありませんでした。
その後、私は苦しんでいる彼女が目の前にいながら助けてあげられなかった自分を責めました。
私は転勤が決まりました。また新たな場所で働こうと思います。せめてもの償いです
あの女の子がくまのぬいぐるみを私にプレゼントしてくれました。
私はあの時助けてあげられなかったことを謝り、この場所を去りました。
また同じことがあったら今度は絶対助けてあげるから。


千晴ちゃんは答えることが出来ません。覚えていないから。
夏樹ちゃんを殺したことを。ただ羨ましかった。
私はあのときの事が忘れられません。怖かったからでもなく苦しかったからでもありません。
この病院にいる人達は何かしら傷を抱えて暮らしています。
心の傷を持った私は千晴お姉ちゃんに救われました。本当のお姉ちゃんの様でした。
千晴お姉ちゃんと話しているといつも時間を忘れて夜中まで話してしまうときもありました。
時間になると千晴お姉ちゃんは巡回に行ってしまいました。毎日迷惑ばっかりかけて申し訳なく思います。
ここの患者さんたちと話しているとその人の傷がわかってきます。
私は千晴お姉ちゃんのやっている事、傷の深さがなんとなくわかっていました。
初めてこの病院に来る人はお姉ちゃんを看護婦さんとして認識するでしょう。私も最初はそう思いました。
私はお姉ちゃんを恨んでいません。心の傷はゆっくり治していけばいいのです。

白に統一された綺麗な病棟
青い空の下
朝霧草が優しく揺れる

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