「牛の首(飢餓の村」

大飢饉の時には、餓死した者を家族が食した例は聞いたことがある。
しかし、その大木のあった村では、遺骸だけではなく、
弱った者から食らったのであろう。
そして生き人を食らう罪悪感を少しでも減らすため、
牛追いの祭りと称し、牛の頭皮をかぶせた者を狩ったのではなかろうか。
おまえの見た人骨の数を考えるとほぼその村全員に相当する。
牛骨も家畜の数と一致する。
飢饉の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。
村民はもちろん親兄弟も、凄まじき修羅と化し、
その様はもはや人の営みとは呼べぬものであったろう。
このことは誰にも語らず、その村の記録は破棄し、廃村として届けよ。
また南村に咎を求めることもできまい。
人が食い合う悲惨さは繰り返されてはならないが、
この事が話されるのもはばかりあることであろう。
この言葉を深く胸に受け止めた役人は、それ以後、誰にもこの話は語らず、
心の奥底にしまい込んだ。
日露戦争が激化する頃、病の床についたこの男は、戦乱の世を憂い、
枕元に孫たちを呼び寄せ、切々とこの話を語ったという。
この孫の中の一人が、自分である。
当時は気づかなかったが、祖父が亡くなった後に分かったことがあった。
何の関係もないと思われた南村の者が、隣村の民全員を牛追いの祭りと称して狩り、
食らったのが真実である。そうでなければ全員の骨を誰が埋められるものか・・・

それゆえ、牛の首の話は、繰り返されてはならない事だが、
話されてもならない話であり、呪いの言葉が付くようになった。
誰の口にも上らず、内容も分からぬはずであるが、
多くの人々が「牛の首」の話を知っている。物事の本質をついた話は、
それ自体に魂が宿り、広く人の間に広まっていくものである。

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