[信者]
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話は飛んで高校を卒業後、私はなんとか都内の私大に進学した。
東京は実は生まれて初めてであり、サークルやらバイトやらで結構舞い上がって生活していた。

東京になじんで数年、同じく東京に出てきていた高校時代の友人達と一緒に飲む機会があった。
そこでAの近況を久しぶりに聞かされた。
Aのことなど、そのころはとうに忘れていたのだが・・・・。
Aは三浪の末、東京近郊のある私立大に入学したという。
決して成績は悪くなかったはずのAの落ちぶれぶりにちょっと哀れみをおぼえたが、その後に以外な
ことを聞かされた。
Aはオ*ム真理教に入信したという。
えっ?・・・・Aは尾崎豊のファンだったんじゃなかったか?
Aの実家のほうでは、Aを脱会させようといろいろ手を尽くして大変なことになっているという。
Aの実家は真面目な公務員か銀行員かそんなんだったはずだが・・・。

ただ、当時はオ*ムは一般にはちょっと風変わりな新興カルトくらいの認識だった。
まだ、例の事件の数々が世間に知れる前であった。

尾崎豊自身はオ*ムに直接関わりは持っていなかったが、実は尾崎豊のファンとオ*ムには深いつながりがあった。
後に地下鉄サリン事件が起こるが、その事件の実行部隊の指揮を執った井*嘉浩はオ*ムの諜報大臣の地位にあった
人物だが、彼は熱心な尾崎豊のファンであった。
井*は中学時代に尾崎に感銘を受け、尾崎に感化されたような自作に詩を大学ノートに書き付けたりしていた。
彼は青春の情熱の置き所に迷い、本当の自分をもとめてついにオ*ムに辿り着く。
オ*ムにはそうした若者が多く集まった。特に若い信者層には尾崎のファンが多く存在した。
オ*ムは信者の獲得に尾崎のイメージを積極的に利用したのも、こうした尾崎ファンのオ*ム信者の存在が
大きかったはずだ。
「尾崎豊フィルムライブ」と銘打ったセミナーを開催して尾崎ファンを多数あつめ、そこでオ*ム入会の勧誘を
行う。現にこの活動のさなか、尾崎豊のポスターを街頭に貼っていた信者が警察のお世話になっている。
尾崎豊のTシャツやパンフを無断で販売し、尾崎サイドの人間から注意をうけたりした。
(注意を出した人物はその後、教団の”ポアリスト”に名前が載った)
尾崎豊が死亡したとき、オ*ムは早速、”アメリカの陰謀”説を唱え、「尾崎の死について考える」などのセミナー
を開いたりした。
こうした経緯で入信していった尾崎豊のファンも少なくなかったという。
そして遂に事件はおこる。
地下鉄サリン事件が起きたとき、私は日比谷線に乗って被害に遭った。

・・・かつて教団総選挙に打って出て、そこで供託金没収レベルの記録的大敗を喫した。
奇妙なパフォーマンスや言動で世間の笑いものになったのだ。
彼らは現実を前に、挫折したのだ。
彼らは自分を正しいと信じ、疑わず、その正しさを皆にわかってもらおうとしたのかもしれない。
尾崎ファンから流れた若い信者層はもしかしたら本気でそう思っていたのかも知れない。
ちょうど高校時代、AがEに自分のありのままをストレートのぶつければ通じると無邪気に考えて
いたように。
相手の気持ちも理解しようとせず、独りよがりのキレイゴトを強引に押し通そうとしても無理に
決まっている。多くの場合、相手には拒絶される。

しかし彼らは自分を受け入れない世間の方が悪いと考えたようだ。
現実社会を否定し拒絶した先にあったものは・・・・・。

現在、地元にはAの家は存在しない。既に引っ越してしまったようだ。
Aは今、なにをしているのだろうか?
夢は醒めたのだろうか?      (了)

*前スレで、オ*ムに拉致された体験談が出ていたので、それに釣られ書き込みました。
 まあ、拉致体験談に比べれば、そんな恐くないですが、「死ぬほど」と「洒落にならない」という
点では間違いはないです。

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