[葬祭]
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「この習慣は山を少し下った隣の集落にはなかった。近くに浄土宗の
 寺があり、その檀徒だったからだ。寺が出来る前はとなったらわか
 らないけど、どうやらこの集落単独でひっそりと続いてきた習慣
 みたいだ。その習慣も墓地埋葬法に先駆けて明治期に終わっている。
 だからこの集落の墓はすべて明治以降のものだし、ほとんどは大正
 昭和に入ってからのものじゃないかな」

その日はそのまま寝た。
その夜、生きたまま木棺に入れられる夢を見た。
次の日の朝その家の家族と飯を食っていると、そろそろ帰らないか
というようなことを暗にいわれた。
帰らないんですよ、箱の中を見るまでは。と心の中で思いながら
味のしない飯をかき込んだ。
その日はなんだか薄気味が悪くて山には行かなかった。
近くの川でひとり日がな一日ぼうっとしていた。
『僕はその木箱の中に何が入っているのか、そのことよりもこの集落
 の昔の人々が人間の本体をいったい何だと考えていたのか、それが
 知りたい』
俺は知りたくない。でも想像はつく。
あとはどこの臓器かという違いだけだ。
俺は腹の辺りを押さえたまま川原の石に腰掛けて水をはねた。
村に侵入した異物を子供たちが遠くから見ていた。
あの子たちはそんな習慣があったことも知らないだろう。

その夜、丑三つ時に師匠が声を顰め、「行くぞ」といった。

川を越えて暗闇の中を進んだ。向かった先は寺だった。
「例の浄土宗の寺だよ。どう攻勢をかけたのか知らないが、明治期に
 くだんの怪しげな土着信仰を廃して、壇徒に加えることに成功した
 んだ。だから今はあのあたりはみんな仏式」
息をひそめて山門をくぐった。
帰りたかった。
「そのあと、葬祭をとりしきっていたキの一族は血筋も絶えて今は
 残っていない。ということになってるけど、恐らく迫害があった
 だろうね。というわけでくだんの木箱だけど、どうも処分されて
 はいないようだ。宗旨の違う埋葬物だけどあっさりと廃棄するほど
 には浄土宗は心が狭くなかった。ただそのままにもしておけない
 ので当時の住職が引き取り、寺の地下の蔵にとりあえず置いていた
 ようだが、どうするか決まらないまま代が変わりいつのまにやら
 文字どおり死蔵されてしまって今に至る、というわけ」
よくも調べたものだと思った。
地所に明かりがともっていないことを確認しながら、小さなペンライト
でそろそろと進んだ。
小さな本堂の黒々とした影を横目で見ながら、俺は心臓がバクバク
していた。
どう考えてもまともな方法で木箱を見に来た感じじゃない。
「僕の専攻は仏教美術だから、そのあたりから攻めてここの住職と
 仲良くなって鍵を借りたんだ」
そんなワケない。寝静まってから泥棒のようにやって来る理由がない。
そこだ。と師匠がいった。
本堂のそばに厠のような屋根があり、下に鉄の錠前がついた扉があった。
「伏蔵だよ」

どうも木箱の中身については当時から庶民は知らなかったらしい。
知ることは禁忌だったようだ。
そこが奇妙だ。
と師匠はいう。
その人をその人たらしめるインテグラルな部分があるとして、それ
が何なのか知りもせずに手を合わせてまた畏れるというのは。
やはり変な気がする。
それが何なのか知っているとしたら、それを「抜いた」というシャー
マンと、あるいは木箱を石の下から掘り出して伏蔵に収めた当時の
住職もか・・・
師匠がごそごそと扉をいじり、音を立てないように開けた。
饐えた匂いがする地下への階段を二人で静かに降りていった。
降りていくときに階段がいつまでも尽きない感覚に襲われた。
実際は地下一階分なのだろうが、もっと長く果てしなく降りたような
気がした。
もともとは本山から頂戴したなけなしの経典を納めていたようだが、
今はその主人を変えている、と師匠は言った。
異教の穢れを納めているんだよ。というささやくような声に一瞬気が
遠くなった。
高山に近い土地柄に加え、真夜中の地下室である。
まるで冬の寒さだった。
俺は薄着の肩を抱きながら、師匠のあとにビクビクしながら続いた。
ペンライトでは暗すぎてよく分からないが、思ったより奥行きがある。
壁の両脇に棚が何段にもあり、主に書物や仏具が並べられていた。
「それ」は一番奥にあった。

続く