それから三日後、友人が学校の屋上から飛び降りた。
救急車とパトカーが数台。クラブ活動していた私は他の生徒とともに、
強制下校させられた。友人は木の枝や茂みのクッションにより一命を
取り留めたようだった。彼は私の隣りのクラスであり、
私に知らない人間関係やイジメに悩んでいたのかも知れない、と私は考えた。
それは学校中の話題になり、私は見舞いに行くのにも神経を使わなくてはいけなかった。
病室のドアを開けると、そこには中年の看護婦さんと、
全身を包帯で巻かれ、眠っている友人の姿があった。看護婦から聞いたところ、
彼は全身打撲と内出血、多数の擦り傷によって今は安静が必要だという。
私はその顔まで覆われた姿に恐怖を覚えたが、平静を装ってベッド脇の椅子に座った。
見ると、友人の両手が念入りに包帯で五指ともにグルグル巻きにされていた。
気になった私はそれを看護婦に尋ねると、数日前に、彼は自分で指の表面を
ぐちゃぐちゃに食いちぎったのだという。きっとノイローゼなのでしょう、
とだけ言って看護婦は退室していった。すると、友人が目を開き、こちらを見た。
彼は何かしきりに、包帯で包まれた手の指を動かしているようだった。
「頼む、カーテンを閉めてくれ」と私に言った彼は、予想以上に落ち着いていた。
安心した私に、彼はきつそうに口を開いた。
「罰が当たったんだ。きっと。悪くない。俺達は悪くない。多分、もう大丈夫」
私は結局その意味をわからず、彼はもう学校には来なかった。
それから私達は会う事はなかった。それから私は平々凡々とした生活を送った。
20歳を過ぎて、大学を卒業した私は久しぶりに実家に帰って来た。そして、古い知人達の口から、その友人は無事に県外の学校を卒業して就職できたようだ、
と聞いて、肩の荷が下りたように感じた。
彼が無事に人生を送っている事は何よりの朗報だった。
この文を書く事にしたのは、昨日、久しぶりにバイクで神社を見に行ったからです。
私の願いも空しく、小屋はあり、窓にはカーテンが閉まっていました。
あの小屋を見て、当時を思い出すたびに、私は友人に深い感謝の念を感じます。
彼に何があったがわかりませんし、あの小屋に何がいるのかもわかりません。
ただ私には、彼に救われた、という感覚のみが残りました。
続く