[将棋(師匠シリーズ)]
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その戦友が負傷をして、本土に帰されることになった
とき、二人は住所を教えあい、ひと時の友情の証しに
戦争が終われば手紙で将棋をしようと誓い合ったそうだ。
戦友は北海道出身で、住むところは大きく隔たってい
た。
戦争が終わり、復員した祖父は約束どおり冬至に手紙
を出した。『2六歩』とだけ書いて。
夏至に『3四歩』とだけ書いた無骨な手紙が届いたと
き、祖父は泣いたという。
それ以来、年に2手だけという将棋は続き、祖父は夏
至に届いた手への返し手を半年かけて考え、冬至に出
した手にどんな手を返してくるか、半年かけて予想す
るということを、それは楽しそうにしていたそうだ。
5年前にその祖父が死んだとき、将棋は100手に近
づいていたが、まだ勝負はついていなかった。
師匠は、祖父から将棋を学んでいたので、ここでバカ
正直な年寄りたちの、生涯をかけた遊びが途切れるこ
とを残念に思ったという。

手紙が届かなくなったら、どんな思いをするだろう。
祖父の戦友だったという将棋相手に連絡を取ろうかと
も考えた。それでもやはり悲しむに違いない。ならば
いっそ自分が祖父のふりをして次の手を指そうと、考
えたのだそうだ。
宛名は少し前から家の者に書かせるようになっていた
ので、師匠は祖父の筆跡を真似て『2四銀』と書くだ
けでよかった。
応酬はついに100手を超え、勝負が見えてきた。
「どちらが優勢ですか」
俺が問うと師匠は、複雑な表情でぽつりと言った。
「あと17手で詰む」
こちらの勝ちなのだそうだ。
2年半前から詰みが見えたのだが、それでも相手は
最善手を指してくる。
華を持たせてやろうかとも考えたが、向こうが詰みに
気づいてないはずはない。
それでも投了せずに続けているのは、この遊びが途中
で投げ出していいような遊びではない、という証しの
ような気がして、胸がつまる思いがしたという。

「これがその棋譜」
と、師匠が将棋盤に初手から示してくれた。
2六歩、3四歩、7六歩・・・
矢倉に棒銀という古くさい戦法で始まった将棋は、
1手1手のあいだに長い時の流れを確かに感じさせた。
俺も将棋指しの端くれだ。
今でははっきり悪いとされ、指されなくなった手が
迷いなく指され、十数手後にそれをカバーするような
新しい手が指される。戦後、進歩を遂げた将棋の歴史
を見ているような気がした。
7四歩突き、同銀、6七馬・・・
局面は終盤へと移り、勝負は白熱して行った。
「ここで僕に代わり、2四銀とする」
師匠はそこで一瞬手を止め、また同馬とした。
次の桂跳ねで、細く長い詰みへの道が見えたという。
難しい局面で俺にはさっぱりわからない。
「次の相手の1手が投了ではなく、これ以上無いほど
最善で、そして助からない1手だったとき、僕は相手
のことを知りたいと思った」
祖父と半世紀にわたって、たった1局の将棋を指して
きた友だちとは、どんな人だろう。

続く