[壁の中の生活]

そのトンネルは通りのすぐ脇にあったにも関わらず、何故だか誰も立ち入らない。従姉妹がトンネルから外を眺めていても通りを歩く人たちは一度も気づかなかった。
また、そこにいるといつも時間が早く過ぎるようで、日暮れを告げる市役所のチャイムをうっかり聞き逃すことも珍しくなかった。

ある日、トンネルの壁にもたれ掛かりうとうとしていた従姉妹は、どこからか話し声が聞こえるのに気づいた。身体を起こすと何も聞こえなくなる。不思議に思いながら、壁に寄りかかると再び声が聞こえた。壁に耳を当ててみると、先ほどよりはっきり聞き取れるようになった。

それはどうやら二人の男女の会話らしかった。女が男に早口で、笑いながら話しかけていた。男も時おり楽しそうな声で応える。聞き入っているうちに夕方のチャイムがなり、何となく後ろ髪を惹かれる思いでトンネルを後にした。

次の日トンネルに行くと従姉妹はさっそく壁に耳を当ててみた。やはり聞こえる。昨日と同じ男女の声だ。今日は男が積極的に話し、女が笑い転げている。すべて聞き取れないのをじれったく思いながら、耳を澄ませた。
それから、従姉妹は毎日そこへ通うようになった。

壁の向こうから聞こえる男と女は、どうやら恋愛関係にあるようだった。日を追うごとに、二人の親密さが増していくのが幼い従姉妹にも分かった。
何故土手に空いたトンネルの壁から、見知らぬ男女の会話が聞こえるのか不思議に思うこともあったが、そういう場所なのだろうと子供らしい柔軟さで受け入れていた。

やがて壁の向こうの二人は結婚した。女は仕事を辞め主婦になったようだった。
言い合いをすることもあったが、おしなべて二人は幸せそうだった。他人ごとながら見守ってきた従姉妹はそれを嬉しく感じた。

相変わらず声は少しだけ遠く、言葉の端々に聞き取れない部分はあったが、どう試してもそれだけは改善されなかった。隣りの部屋にテレビがあり、それを聞いているようなもどかしさに近かった。

壁の向こうの幸せな生活は、しかし長続きしなかった。女が妊娠し、産みたいという女とまだ子供は欲しくないという男が対立したのだ。小学生の従姉妹にもその意味は分かり、心苦しく思った。女が、どれほど子供を欲しがっているか知っていたから。

少しずつ二人には暗雲が忍び寄り、やがてそれは加速度を増し生活全体を覆った。夏の嵐のように、あっという間に。従姉妹は二人の関係が元に戻って欲しいと願い耳をそばだて続けたが、聞こえてくるのは言い争いと悲嘆の声ばかりになった。

続く