[ケンケン婆]
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大人は山に浮浪者が住み着いているということを知らなかったらしく、皆すぐに同意。
もともと私有地の山だったので話も早く、所有者の人を先頭にぞろぞろと山に出かけていった。
でも結局会えなかったらしく、1時間もすると帰ってきた。
廃墟の入り口に退去願いの張り紙だけして戻ってきたらしい。
でもここで、俺たちは訝しげな顔をした大人たちに、本当に浮浪者が居ついているのかということを質問された。
子供の俺たちにとっては考えもつかなかった疑問の数々。
まず例の廃屋は屋根と壁の半分が腐り落ちている状態で、浮浪者といえどとても人間の住める場所ではなかった。
暖を取ることはおろか、雨風すらしのげない。
生活の跡らしきものも見当たらなかったらしい。
それにその場所。
「獣道や藪をつっきった先」と書いたが、途中にかなりスリリングな崖や有刺鉄線で遮られた場所があって、健常者でも辿り着くのに一苦労だ。
(俺たちは有刺鉄線の杭の上を上っていた)
ましてや片足の老婆が、日々行き来できる場所ではないと。
また、大人は誰もけんけん婆あを見たことがないらしい。
特に山のふもとに住んでいる人間なら必ず目撃しているはずなのに、誰一人として見た人間がいない。
断言できるが、あの山で自給自足することなんて不可能だ。
そんなこれまで考えもしなかった疑問に困惑しているとき、俺の父親が帰ってきた。
話を聞いた父、すぐに
「なんだあの婆さん、まだいたのか……」
初の俺たち以外の目撃者。
父が何人かに電話をかけると、近所のオッサン連中が2人ほどやってきた。
父を含め3人とも同世代の地元の人間で、子供の頃よくこの山で遊び、俺たちと同じようにけんけん婆あに遭遇していたらしい。
なんと"けんけん婆あ"という呼び名は、当時からあったようだ。
懐かしそうに思い出を語る3人だったが……
ここで山に入る前から黙りがちだった山の所有者のひとが、「実は……」と口を開いた。
彼はいわゆる地主様の家系で、彼の祖父の代には家に囲われていた妾さんがいたらしい。
しかしあるとき、その女性は事故か何かで片足を失った。
それが原因で彼女が疎ましくなった地主は、女性を家から追い出して自分の持っていた山に住まわせたらしい。
それ以降ずっと山に住んでいたらしいが、そう言えば死んだというような話も聞かない、と。
ただそれが本当だとすれば、けんけん婆あは軽く150歳を超えていることになってしまう。
それに例の廃屋も、もとはなんだったのか分からないが、30年ほど前は山を整備するための道具おきとして使われていて、その時点ではすでに誰も住んでいなかったと。
さっきまではしゃいでいたオッサン3人組も婦人会の人たちも、これを聞いて絶句。
地主さんがぽつりと
「明日、宮司さんに頼んで御払いして貰うわ」
という言葉で、静かにお開き。
普段気丈な両親も、目に見えて沈んでいました。
それ以降、私たちはけんけん婆あを見ることはありませんでした。
彼女が何だったのかは未だに分からず終いです。
はたして150歳を超える老怪だったのか、それとも何かの霊だったのか。
ただ、未だにあの「かさっ かさっ」という足音を忘れることができません。
今でもあの山で耳を澄ますと、どこか遠くのほうかでこちらに向かって近付いてくる片足の足音が聞こえるようで、怖くてなりません。