[おじいちゃん]
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それから半月たち、透析治療はつづくものの、母は退院する事になりました。 
話は少し変わりまして、同年1月、母が倒れる前、スノボーで僕はありえないこけ方をしていまい、左手首がすごく痛かったのです。 
スノボーは5年ぐらいやっていて、多少は腕前にも自信があるのですが、あのこけ方は、誰かに押されたかの様な不思議なこけ方でした。 
その左手首の痛みを気にしている矢先の母の入院。すっかりそれどころではなくなってしまい、 
母の容体が落ち着いてきた時ようやく医者に見せたら、骨折して三週間経過していたそうで、整形手術後、二ヵ月の休職をする事になったのです。 
『お母さまが退院して二ヵ月ぐらいは容体も不安定だと思われますので誰か一人はつねに居てあげてください』 
と医者は言いましたが、母以外仕事がある身。ましてや二ヵ月も仕事ははずせないと家族で悩んでいた矢先の僕の骨折診断でした。 
僕の二ヵ月の休職は、見事母の退院後不安定な二ヵ月と一致していたのです。 
ただの偶然だとは思います。しかし、僕にはどうしてもおじいちゃんが取り合わせてくれたように思えてしかたがないのです。 
思えば最初の内出血による貧血が無ければ病名特定が遅れ、母はこの世にいなかったかもしれません。。。 
その内出血も実は医者が言うには原因が謎なのだそうです。 
『誰かがお母さまの慢性腎炎を知らせるためにきっかけをつくったとしか思えないくらい不思議です』 
と、医者は首を傾げながら言っていました。 
この時母はちょうど50才。おじいちゃんが亡くなった年令と同じです。 
おじいちゃんは小さい頃から母を晩酌に付き合わさせていたから反省してたのかもしれません。 
それと、母の様に、若くして親を亡くす悲しみを僕に味あわせたくなかったのでしょうか? 
今でも母は周三回透析治療をしなければいけませんが、なんとか元気に生きており、今僕の横で呑気に寝息をたてておりますw 
あれっきり母の夢におじいちゃんは出てきてないそうです。 
僕も母も霊感ゼロですから、あたりまえでしょうけどね。 
それから去年末、僕はおじいちゃんの墓に感謝の気持ちを伝えに帰省してまいりました。 
やはり霊感ゼロな僕は、祈ってる時に何も感じませんでした。 
でも、おじいちゃんは相変わらずどこかで見守ってくれている気がします。